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ダイニングチェア一覧

MiesVanDerRoheMR10.jpg MiesVanDerRoheMRArmChair.jpg MiesVanDerRoheBrnoChair.jpg MiesVanDerRoheTubularArmChair.jpg  AlvarAalto611.jpg                GeorgeNakashimaConoid.jpg EamesSaarinenOrganic.jpg EamesDCW.jpg EamesDCM.jpg  EamesDSX.jpg   EamesDAX  EamesDSS.jpg EamesDSR.jpg  EamesDSROutside.jpg  EamesDSRWineRed.jpg  EamesDSR-5S.jpg  EamesDAR.jpg  EamesDSW.jpg  EamesDAW.jpg  EamesVintage.jpg EamesDKR0.jpg EamesDKR2.jpg EamesDKR2Leather.jpg EamesDKR5.jpg  GeorgeNelsonNelsonDAF.jpg EeroSaarinenArmChair.jpg     HarryBertoiaBetoiaSideChair.jpg PantonChair.jpg PantonChairGentei.jpg PantonChairClassic.jpg PantonChairClassicGentei.jpg     


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ラウンジチェア/ソファ1人掛け一覧

 MiesVanDerRoheBarcelonaChair.jpg MiesVanDerRoheMRLoungeChair.jpg LeCorbusierLC1.jpg LeCorbusierLC21seat.jpg LeCorbusierLC4.jpg     AlvarAalto43.jpg  JeanProuveCite.jpg JeanProuveAntony.jpg    MarcelBreuerWassily.jpg      EamesLCW.jpg   EamesLCWCowhide.jpg  EamesLCM.jpg EamesLaChiese.jpg EamesRSR.jpg EamesRAR.jpg EamesLSR.jpg EamesLAR.jpg  EamesLoungeChairOttoman.jpg  EamesChaise.jpg  CharleRayEamesSofa1seat.jpg GeorgeNelsonNelsonCoconutChair.jpg NelsonCubeArm.jpg   HarryBertoiaDiamond.jpg  PantonHeartConeChair.jpg PantonConeChair.jpg PantonAmoebe.jpg           


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オフィスチェア一覧

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ソファ2人掛け一覧

LeCorbusierLC22seat.jpg   EamesTandem2.jpg CharleRayEamesSofa2seat.jpg GeorgeNelsonNelsonMarshmallowSofa.jpg      


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ソファ3人掛け一覧

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ソファベッド一覧

EileenGrayDayBed.jpg NelsonDaybed.jpg PaulKjaeholmPK80.jpg 


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スツール/ベンチ一覧

MiesVanDerRoheBarcelonaOttoman.jpg           EamesWalnutStool.jpg GeorgeNelsonNelsonPlatformBench.jpg      


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子供用チェア一覧

 EamesChildrens.jpg EamesChildrensStool.jpg WatanabeRikiKidsSet.jpg WatanabeRikiHighStool.jpg WatanabeRikiLowStool.jpg PantonJunior.jpg 


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用語の説明

用語の説明です。理屈を言い出したらキリが無いので、世間で一般的に通用している意味です。

①オリジナル…原物。本物。その当時の時代の正規品(デザイナーと正式な契約を結んだ会社が、通常そのデザイナーにロイヤリティーを支払い、製造した製品)。最近になってハーマンミラー社などが復刻版を製造していますが、それは復刻版で、オリジナルとは言いません。オリジナルはあくまで当時の製品なので、現在ではほぼ中古品でしか手に入りません。

イームズの場合⇒ハーマンミラー社が1960年~1970年代に製造していた製品のみ。

②ヴィンテージ…もともとはブドウやワインの収穫量や収穫年のことで、良質のブドウが収穫できた年の極上ワインのことを言いました。そこから転じて、「原型としての完成度が非常に高いもの」、「最盛期に作られた質の良い製品」、のことを言います。本来は年代を特定できる製品に対して使われます。ただ単に‘古くて良いもの’ではありません。例えばイームズのチェアは、その時代を反映する良質の製品でしたから、ヴィンテージと言われます。椅子の世界では、オリジナルとヴィンテージはほぼ同じ意味です。

イームズの場合⇒ハーマンミラー社が1960年~1970年代に製造していた製品のみ(オリジナルと同じ)。

③正規品…デザイナーと正式な契約を結んでいる会社が製造している製品。
 
イームズの場合⇒a.ハーマンミラー社が1960年~1970年代に製造していた製品(オリジナル)  b.「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」が製造している現在の製品(正規復刻版)。

※現在イームズの承継者「イームズオフィス」が正式な契約を結んでいるのは、「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」の2社だけです。

④復刻版…デザインに対する版権の期限が切れた製品をオリジナルに忠実に復刻生産した製品。※若干意味は違いますが、レプリカとも言います。

a.正規復刻版
…デザイナー若しくはその承継者にロイヤリティーを支払い、正規に契約を結んでいる会社が製造している復刻版。

イームズの場合⇒イームズの承継者「イームズオフィス」と今現在正式な契約を結んでいるのは、「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」の2社だけですから、その2社の製品だけが正規復刻版です。

b.正規でない復刻版(リプロダクト製品)(ジェネリック)…正規復刻版ではない復刻版。※「正規復刻版⇔リプロダクト製品(正規復刻版に対して、正規ではない復刻版のことをリプロダクト製品)」と言った使い方もします。

イームズの場合⇒「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」以外の会社が作った製品(イタリア・レザーフォーム社など)。

⑤ジェネリック(ノーブランド)…意匠権が切れた製品。意匠権(20年の期限)が切れれば、どんな会社でもその製品を作ることが許されます。正規でない復刻版(リプロダクト製品)と同じ意味でも使われます。イタリアのレザーフォーム社は、正式な契約は結んでいなくても、会社としてみればしっかりした会社なので、それとは区別して、それこそ全くの無メーカーのものを指すこともあります。

イームズの場合⇒「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」以外の会社が作った製品(ノーブランドの会社など)。

⑥コピー…問題外です。違法なコピーをした商品のことで販売をすれば違法行為です。椅子の世界でも、デザインされたものを発表してから20年以内に同じ商品を作って販売することなどは罰せられます。

イームズの場合⇒すべての椅子が、製品を発表してから20年以上経過しているので、誰が作っても良いわけで、イームズのコピー(違法な製品)は存在しません。しかし、正規品以外の製品を、コピーと言う場合もあります。


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椅子のメーカー

仮に今デザイナーズチェアを購入しようとする場合、正規品かリプロダクト品(ジェネリック)かの2者選択になります(オリジナル・ヴィンテージを除いた場合)。

それぞれに良さはありますが、まずはそのデザイナーの正規品を製造している会社を知っておくべきです。正規品ということは、そのデザイナーの設計図などを元に製作していますから、時代を経たとはいえ、限りなくオリジナルの形に近いからです。

正規品を製造している会社は、デザイナーによって違います。



正規品


アイソコンプラス社(Isokon Plus)/イギリス/1935年創業

  マルセル・ブロイヤー


アルテック社(Artek)/フィンランド/1935年創業

  アルヴァ・アアルト


エリックヨルゲンセン社(Erik Jorgensen)/デンマーク

  ポール・M・ヴォルター


ヴィトラ社(Vitra)/スイス・ドイツ/1934年創業

  ジャン・プルーヴェ
  イサム・ノグチ
  チャールズ&レイ・イームズ
  柳宗理
  ヴェルナー・パントン
  マリオ・ベリーニ


カッシーナ社(Cassina)/イタリア/1927年創業
カッシーナ・イクスシー

  チャールズ・レニー・マッキントッシュ
  ル・コルビジェ
  マリオ・ベリーニ


カルテル社(Kartell)/イタリア/1949年創業

  ジョエ・コロンボ


カール・ハンセン&サン社(Carl Hansen&Son)/デンマーク/1907年創業

  ハンス・J・ウェグナー


クラシコン社(Classi Con)/ドイツ

  アイリーン・グレイ


㈱桜製作所/日本/1948年創業

  ジョージ・ナカシマ


ザノッタ社(Zanotta)/イタリア/1954年創業

  ジョエ・コロンボ


天童木工社/日本/1949年創業

  柳宗理


ノール社(Knoll)/アメリカ/1938年創業

  ミース・ファン・デル・ローエ
  マルセル・ブロイヤー
  エーロ・サーリネン
  ハリー・ベルトイア


ハーマンミラー社(Herman Miller)/アメリカ/1923年創業

  チャールズ&レイ・イームズ
  ジョージ・ネルソン
  ヴェルナー・パントン
  ドン・チャドウィック&ビル・スタンフ


フリッツハンセン社(Fritz Hansen)/デンマーク/1872年創業

  アルネ・ヤコブセン
  ハンス・J・ウェグナー
  ポール・ケアホルム
  ピエロ・リッソーニ


メトロポリタンプロダクツ社(Metropolitan Products)/日本

  渡辺力


モローゾ社(MOROSO)/イタリア/1952年創業

  パトリシア・ウルキオラ
  マーク・ニューソン


ワルターノール社(WALTER KNOLL)
/ドイツ/1865年創業

  ノーマン・フォスター


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チャールズ・レニー・マッキントッシュ Charles Rennie Mackintosh

1868年スコットランドグラスゴーで生まれ、1928年(60歳)ロンドンで亡くなった、建築家・デザイナー・画家です。

表面的な様式主義に反発する英国で最初の建築家のうちの1人であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の1人です。

グラスゴー美術学校の夜間部で出合った、のちの妻マーガレット・マクドナルド、その妹フランセス・マクドナルド、職場の設計事務所の同僚のハーバート・マックニーを含めた4人は、ザ・フォー(The Four)と呼ばれ、グラスゴー、ロンドン、ウィーンの各地で展覧会を開き、その評判はマッキントッシュの名声を確立させるに至りました。

いわゆる、「グラスゴー・スタイル」と呼ばれるこの展覧会は、ヨーロッパ各地でその後も開かれ、ウィーン分離派に影響を与えたと言われています。

彼の作品は、グラスゴーでの1896年(28歳)から1910年の短期間に数少ない後援者の助けによって作成されました。

彼のスタイルは、微妙な曲がったモチーフを備え、強い直線の構造や要素を持っており、織物、家具および金属細工などを作成しました。ただ、特性あるスタイルにもかかわらず、建物は伝統尊重主義を保持し、明らかにスコットランドを感じさせます。

建築家としては、「ヒルハウス(Hill House)」(現在スコットランド・ナショナルトラスト所有)の設計などを手掛けました。

1923年には、建築家としての総てを捨て風景画を描くことに専念するため、フランスの南部に移り住み、地味な生活を送りながら貧困のうちに死を迎えます。多くの芸術家にありがちな、生前には評価されない不遇な人物でした。

ライラックピンクと称される色合いに人気があるイングリッシュローズ(イギリス薔薇)には、彼に因んで、「チャールズ・レニー・マッキントッシュ」と命名されています。


チャールズ・レニー・マッキントッシュ/1902年/ヒルハウスチェア


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アイリーン・グレイ Eileen Gray

1878年にアイルランドに生まれ、1976年(98歳)に亡くなりました。

裕福な貴族の家系、芸術的に恵まれた環境で育ち、ロンドン・パリで美術を専攻後、その後特にパリで活躍した女性デザイナー・建築家の草分け的存在です。

1922年(44歳)に彼女自身のインテリアデザイン事務所を開設し、1925年に始めてスチールパイプを使った家具を製作しました。

このアイデアをもとに、1926年(48歳)には建築家としてデビューし、1927年~1929年にかけてフランスのロクブリュンに建築家としての処女作である別荘「E1027」を設計し、モダン建築とモダン家具を融合させ、その後も数々の名作を具現化しました。

彼女の最も有名な作品と言えば、このE1027の設計のときにデザインした「アジャスタブルテーブルE1027(Adjustable Table E1027)」で、世界で21のコピー商品があると言われているほどです。

スチールパイプという当時としては最先端の建築資材を家具製作に用いた手法は、後のデザイナーに多くの影響を与えました。

巨匠ル・コルビジェが1937年のパリ万博のパートナーとして彼女を選んだのも、彼女の自由でアバンギャルドな発想を認めてのことだったと言われています。

「私がやりたかったものは、私たちの時代にふさわしいもの、可能ではあったがまだ誰もやっていなかったものを創り出すこと。あの頃私たちが生きていた世界は、今では考えらないほど時代遅れだった。」…彼女の言葉です。


EileenGrayDayBed.jpgアイリーン・グレイ/1925年/デイ・ベッド

アイリーン・グレイ/1929年/モンテカルロ


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ミース・ファン・デル・ローエ Mies van der Rohe

1886年ドイツに生まれ、1969年(83歳)アメリカのシカゴで亡くなった、ドイツ人建築家です。

ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれています(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもあります)。

ル・コルビュジエ同様、彼もまた圧倒的に「建築家」としての著名人です。

Less is more.(より少ないことはより豊かなこと)」、「神は細部に宿る」などの名言を残し、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献しました。

柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体がその内部にあらゆる機能を許容するという意味の「ユニヴァーサル・スペース」という概念を提示しました。

1929年(43歳)、バルセロナ万国博覧会で建設された「バルセロナ・パヴィリオン」は、鉄とガラスと大理石で構成された建築史上有名な建造物です。

また、同パヴィリオンのために彼がデザインしたのが、傑作「バルセロナ・チェア」です。

1930年(44歳)からはバウハウスの第3代校長を勤めましたが、3年後の1933年にナチスによってバウハウスが閉鎖されたため、アメリカに亡命しました。

1950年製作の四方をガラスの壁で囲んだ「ファンズワース邸」は、ユネスコ世界遺産に登録され、1958年竣工のガラスと鉄骨のニューヨークの超高層ビル「シーグラムビル」は、最もすぐれたデザインの超高層ビルと言われています。

バウハウス(Bauhaus)…1919年、ドイツ・ワイマールに設立された美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。「バウハウス」とはドイツ語で「建築の家」を意味する。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、表現傾向はモダニズム建築に大きな影響を与えた。


MiesVanDerRoheMR10.jpgミース・ファン・デル・ローエ/1927年/MRサイドチェア

MiesVanDerRoheMRArmChair.jpgミース・ファン・デル・ローエ/1927年/MRアームチェア

MiesVanDerRoheBarcelonaChair.jpgミース・ファン・デル・ローエ/1929年/バルセロナチェア

MiesVanDerRoheBarcelonaOttoman.jpgミース・ファン・デル・ローエ/1929年/バルセロナスツール

MiesVanDerRoheMRLoungeChair.jpgミース・ファン・デル・ローエ/1929年/MRラウンジチェア

MiesVanDerRoheBrnoChair.jpgミース・ファン・デル・ローエ/1930年/ブルーノチェア

MiesVanDerRoheTubularArmChair.jpgミース・ファン・デル・ローエ/1930年/チューブラーアームチェア


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ル・コルビュジエ Le Corbusier

1887年スイスで生まれ、1965年(77歳)南フランスで水泳中に亡くなった、フランスで主に活躍した「建築家」です。

フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれています(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもあります)。

たくさんの家具のデザインも手掛けていますが、圧倒的に「建築家」としての著名人です。

本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(Charles-Edouard Jeanneret)で、ル・コルビュジエはペンネームです。

21歳でパリに渡り、建築事務所に勤めて建築を学び、35歳で自分の事務所を構えました。

建築家として、ドミノシステム、マルセイユのユニテ・ダビタシオン、パリ改造計画、輝く都市、近代建築の五原則、インドのチャンディーガル、クック邸、サヴォア邸、ロンシャン教会など、数々の有名な功績を残しました。

日本でも、東京上野の「国立西洋美術館」の本館の基本設計を手掛けています(日本にある彼の唯一の建築物)。これは、ユネスコ世界遺産登録のため、フランス政府から正式に推薦される予定です。

今でこそ世界中どこにでも見られるコンクリート打ちっぱなしの建物は、ル・コルビュジエが提唱したもので、彼の建築家としての最大の功績です。

住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という有名な言葉を残し、1997年4月から発行されている10スイスフラン札には、彼の肖像と作品が描かれています。

「300万人のための現代都市」構想案を発表するなど、都市計画家としても世界をリードした、ル・コルビュジエ。

だからでしょうか、すべての彼の椅子には建築家としてのスケールの大きさを感じます。

コルビュジエの家具は、単純な構成で最大の快適さを求め、「グランコンフォート(GRAND CONFORT):大いなる快適」と呼ばれています。


LeCorbusierLC1.jpgル・コルビジェ/1928年/LC1

LeCorbusierLC21seat.jpgル・コルビジェ/1928年/LC2/1シーター

LeCorbusierLC22seat.jpgル・コルビジェ/1928年/LC2/2シーター

LeCorbusierLC23seat.jpgル・コルビジェ/1928年/LC2/3シーター

LeCorbusierLC4.jpgル・コルビジェ/1928年/LC4 シェーズロング

ル・コルビジェ/1928年/LC7 回転チェア


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アイノ・アアルト Aino Alto

1894年に生まれ、1949年(55歳)に亡くなった、20世紀を代表する建築家アルヴァ・アアルトの妻であり、仕事のパートナーでした(旧姓:アイノ・マルシオ)。

ヘルシンキ工科大学を卒業後、1924年(30歳)、仕事でまだ無名の建築家アルヴァ・アアルトの事務所を訪ね、そこで働き始めます。その後二人は結婚し、長いパートナー関係が始まります。

1932年のデザインコンペでは、アイノは夫のアルヴァを差し置いて、「アアルト・グラス」で優勝します。このアアルト・グラスは、1936年、ミラノ・トリエンナーレ展でも金賞を受賞しました。彼女の最も代表的な作品で、知的な世界の特徴がよく表れている作品です。

アイノは、女性の感性を生かし、日常生活での利用のための実用性と簡潔さを作品に反映させることを目指していました。この理想は、その後の多くの芸術家、デザイナーに大きな影響を与えましたし、当時のデザインプロダクトの都会化、大量生産、実用主義という1930年代の時代の潮流にもなり、現代にもなお受け継がれています。

夫のアルヴァ・アアルトとは、結婚以来ずっとインテリア・家具などの共同作者として数多くの仕事を共にこなし、後にアルテック社のデザインディレクターも務めました。

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(↑参考:アイノ・アアルトタンブラー)


アイノ・アアルト/1930-40年/321ガーデンラウンジチェア



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フーゴ・アルヴァ・ヘンリク・アアルト Hugo Alvar Henrik Aalto

1898年に生まれ、1976年(78歳)に亡くなった、20世紀フィンランドを代表する建築家・デザイナーで、スウェーデンのグンナール・アスプルンドと並んで、北欧の近代建築家としてもっとも影響力があった一人です。

大規模な都市計画から、建築、家具、照明、テキスタイル、そして小さなガラス製品、絵画に至るまで幅広いデザインプロジェクトに関わり、それらすべてが調和して存在しているのが、アアルトスタイルです。

小さな生活雑貨や一脚の椅子が、大きな建築物や空間に醸し出す空気感まで視野に入れ、何よりも「ひと」を中心に置いた設計・デザインによって「世界の匠」として語り継がれています。

1921年、ヘルシンキ工科大学建築学科を卒業し、いくつかの都市を経て、1933年(35歳)にヘルシンキで設計事務所を開設し、デザイナーとしてはもちろん、マサチューセッツ工科大学で教鞭をとったり、またフィンランド・アカデミーの会長にも就任するなど活躍しました。

1935年には、自作の家具を国内外に販売するために、妻アイノ・アアルト、マイレ・グリクセン、ニルス・グスタフ・ハールと共同でアルテック社(Artek)を設立し、アアルトの作品を現在に至るまで製作・販売しています。

主な建築作品には、現代のフィンランド建築を象徴する、ヘルシンキのフィンランディア・ホール、ヘルシンキ工科大学のキャンパスなどがあり、また、ドイツ軍により 破壊されたサンタクロースの町「ロヴァニエミ」の復興には、都市計画段階から携わり、他にも、多目的ホール、図書館、市庁舎、教会、住宅などの設計も手掛けました。

プロダクトデザインとしては、イッタラ社が製作しているガラス食器やベース、アルテック社のプライウッドの椅子のシリーズが有名です。

フィンランドの風土や伝統の中に近代的感覚をいれた作品を多く残し、世界のミュージアムの永久保存品となっている作品も多数あります。


AlvarAalto611.jpgアルヴァ・アアルト/1929年/チェア611

アルヴァ・アアルト/1931年/アームチェア41パイミオ

アルヴァ・アアルト/1931年/アームチェア44

アルヴァ・アアルト/1931年/ソファ544

アルヴァ・アアルト/1933年/スツール60

アルヴァ・アアルト/1933年/スツールE60

アルヴァ・アアルト/1933年/チェア63

アルヴァ・アアルト/1933年/ハイスツール64

アルヴァ・アアルト/1933年/チェア65

アルヴァ・アアルト/1933年/ハイチェアK65

アルヴァ・アアルト/1933年/チェア66

アルヴァ・アアルト/1936年/アームチェア400

AlvarAalto43.jpgアルヴァ・アアルト/1937年/ラウンジチェア43

アルヴァ・アアルト/1939年/アームチェア406

アルヴァ・アアルト/1946年/スツールY61

アルヴァ・アアルト/1954年/スツールX600

アルヴァ・アアルト/1954年/スツールX601


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ジャン・プルーヴェ Jean Prouvé

1901年、フランス・パリに生まれ、1984年(82歳)に亡くなった、建築家、デザイナーです。

アール・ヌーヴォーの巨匠、ヴィクトール・プルーヴェを父に持ち、アール・ヌーヴォーの環境の中で鉄工芸の技術を習得し、1923年(22歳)にナンシーに自分のアトリエを設立、鉄製のランプやシャンデリア、階段の手摺などの製作・デザインを手掛けます。この頃パリで、ル・コルビジェ、シャルロット・ペリアンらと知り合い、1930年には彼等と現代芸術家組合(UAM)を設立します。

1937年のパリ万博には、ル・コルビジェピエール・ジャンヌレと共同製作したバスルームを出品、他方、政治活動にも積極的に関わり、1944年(43歳)にはナンシー市長に選出されます。1947年には新工場を開設し、家具の製造を続けると共に、建築部材としてのアルミの可能性を追求し、また13年もの間教職にも就くなど、幅広い活動をしました。

金属工芸の世界からその経歴をスタートさせ、手作りの工芸品から家具、建築へと、その作品の規模を発展させます。工芸の世界に合理的産業化の考え方を持ち込み、芸術と工業の融合を図ったナンシー派の影響を受け、更にそれを、家具、建築にまで応用しました。

建築は「静的」なものではなく、スチールパネルによる可動間仕切りにおける特許を取得し、「分解し、持ち運ぶ」ことができる家具を多く残しました。プレハブ住宅の実践にいち早く取り組んだ人物の一人でもあり、工場で部品を生産し、現場では装着のみを行うという考え方は、もちろん現在の建築手法にも多大な影響を与えています。

また、アルミを建築材料として採用した先駆者でもあり、アルミの折り曲げ加工、アルミパネルの製造などの技術を実用化させるに至り、ハイテク建築とよばれる作品を多く世に送り出している現代建築家たちの師と仰がれています。

プルーヴェの家具は、ブラッド・ピットやマーク・ジェイコブス等世界のセレブリティが競ってコレクションしていることでも知られており、ダイニングテーブルに「EMテーブル」を使うことは、成功者のステイタスとなっています。また、オリジナルのシテ・アームチェア(Cite Armchair)は、約560万円という価格を付けています。

家具作品の多くは、2002年にヴィトラ社より復刻されています。


JeanProuveCite.jpgジャン・プルーヴェ/1930年/シテ

ジャン・プルーヴェ/1934年/スタンダードチェア

JeanProuveAntony.jpgジャン・プルーヴェ/1954年/アントニー


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アルネ・ヤコブセン Arne Jacobsen

1902年にデンマークの首都コペンハーゲンで生まれ、1971年(69歳)亡くなりました。

デンマークのモダニズムをリードした建築家・デザイナーです。ユダヤ人であり、正しくは「アルネ」ではなく「アーネ」です。

建築における理想を追求したデザイン、家具までも含めた一貫性という点において、「ミース・ファン・デル・ローエ」に影響を受けたと自身で語っています。

1950年(48歳)、デンマークの家具メーカー「フリッツハンセン社(Fritz Hansen)」と仕事を始め、2年後の1952年、3次元曲面を持つプライウッドチェア「The Ant(アントチェア)」が生まれました。

その後も、自身が設計したコペンハーゲンのSASロイヤルホテルのためにデザインした 「The Egg(エッグチェア)」「The Swan(スワンチェア)」など、デイニッシュ・デザインを世界的に広めることとなる作品を送り出しました。

彼の最も知られた作品は、1955年(53歳)の「The Seven(セブンチェア)」であり、全世界で500万本以上を販売し、姿勢をデッサンする多くの肖像に使用されています。

彼の椅子は、発表当時から現在まで全てフリッツハンセン社が製造しています。

また、SASロイヤルホテルやデンマーク銀行など数々の建築プロジェクトを通して、デンマークを代表する照明メーカー「ルイス・ポールセン社(Louis Poulsen)」と密接な協力関係を築きました。

その活躍は国内にとどまらず、受賞歴も欧米各国に渡り、英国王立建築家協会、アメリカ建築協会などの会員にもなり、出身校であるデンマーク・コペンハーゲン王立芸術学校をはじめ、オックスフォードなどの教鞭も取りました。

1971年には、彼の最初の国家レベルでの仕事「デンマーク国立銀行」が着工されましたが、同年その竣工を見ることなく逝去したため、それが遺作となってしまいました。


※ SASロイヤルホテル…ヤコブセンが、内装、家具、ファブリックから食器に至るまでトータルデザインした最も有名な建物。

フリッツハンセン社(Fritz Hansen)…1872 年に創業の北欧を代表するデンマークの家具ブランド。アルネ・ヤコブセン、ポール・ケアホルム、ハンス・J・ウェグナーといった北欧家具の巨匠といわれるデザイナーによって生まれた名作家具は、近代北欧デザインを世界に定着させました。「アントチェア」「セブンチェア」「スワンチェア」「エッグチェア」といった名作の数々は、このフリッツ・ハンセン社製です。


アルネ・ヤコブセン/1952年/アントチェア

アルネ・ヤコブセン/1955年/セブンチェア

アルネ・ヤコブセン/セブンチェア/SERIES 7 Designer Color

アルネ・ヤコブセン/セブンチェア/キャスター付き

アルネ・ヤコブセン/セブンチェア/アームタイプ

アルネ・ヤコブセン/セブンチェア/アーム付きキャスターチェア

アルネ・ヤコブセン/セブンチェア用皮製カバー

アルネ・ヤコブセン/セブンチェア/子供用

アルネ・ヤコブセン/セブンチェア/カウンタースツール

アルネ・ヤコブセン/1958年/エッグチェア

アルネ・ヤコブセン/1958年/スワンチェア

アルネ・ヤコブセン/2008年/スワンチェア/アニバーサリーモデル

アルネ・ヤコブセン/1970年/エイトチェア


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マルセル・ブロイヤー Marcel Breuer

1902年ハンガリーで生まれ、1982年(79歳)に移住先のアメリカ・ニューヨークで亡くなりました。

モジュール構造(ひとつの形をつなぎ合わせて大きな形をつくる構造のこと)と単一形態の重要性を提示したモダニズムの父の一人で、建築家・家具デザイナーです。

バウハウスの第一期生で、卒業後は同校の家具部門を指導しました。

機能性と量産化を追及するデザイン理論で知られバウハウスを代表する建築家の一人ですが、やがて幾何学的で水平と垂直を意識したシンプルな形のデザインへと変わっていきました。

ブロイヤーの作品で最も知られているのは、1925年(23歳)曲げた金属パイプを椅子に初めて使用した「ワシリー・チェア」です。

その後ドイツ国内でナチスが台頭したため、ユダヤ人のブロイヤーは建築家としてロンドンへ渡り、最終的には1937年(35歳)アメリカへ移住しハーバード大学の教授に就任しました。

近代建築家としても、パリのユネスコ本部やホイットニー美術館など、世界の建築史に残る作品を残してきた偉大な人物です。

バウハウス(Bauhaus)…1919年、ドイツ・ワイマールに設立された美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。「バウハウス」とはドイツ語で「建築の家」を意味する。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、表現傾向はモダニズム建築に大きな影響を与えた。


MarcelBreuerWassily.jpgマルセル・ブロイヤー/1925年/ワシリーチェア

マルセル・ブロイヤー/1935年/ベルトイア・サイドチェア

マルセル・ブロイヤー/1936年/ベルトイア・アームチェア

マルセル・ブロイヤー/1936年/ベルトイア・ソファ


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イサム・ノグチ Isamu Noguchi 野口勇

1904年、アメリカ・ロサンゼルスに生まれ、1988年(84歳)に亡くなった、日系アメリカ人の彫刻家、画家、インテリアデザイナー、造園家、舞台芸術家です。彼は生涯、日本とアメリカの狭間に生きた人間として、それをバネに数々の名作を生み出した人と言えます。

彼の作品の源は、東洋と西洋、古代と現代、実践と理想、社会と個人など、対立する概念のもたらす緊張感で、石、木、紙、水、光など様々な天然素材を取り入れて、シンプルなフォルムを情熱的に表現しました。

日本では、岡本太郎、北大路魯山人、丹下健三、猪熊弦一郎、勅使河原蒼風などと交流し、その作品は彫刻から家具、照明、公共スペースや庭園など多岐に渡り、「地球を彫刻した男」とも言われています。

日本の詩人で慶應義塾大学教授の父・野口米次郎、アメリカの作家で教師の母・レオニー・ギルモア(Leonie Gilmour)の私生児として生まれました。

少年時代(2歳から13歳まで)は家族で東京に過ごし、10歳ごろには茅ヶ崎の木工職人宅に見習いに通います。

1918年、母の意思でインディアナ州ローリング・プレーリー近郊の公立中学校入学に際し単身で米国へ送られ、その後公立高校を卒業します。芸術家を切望したため中学校長の斡旋でスタンフォード在住の彫刻家、ガッツォン・ボーグラムに弟子入りが叶いますが、敬愛する師から彫刻の適性を認めてはもらえず、挫折感から一時は芸術を諦めます。

1923年ニューヨークへ移り、コロンビア大学医学部に入学し、日本より帰米してきた母と暮らすようになります。医学部に在学する一方、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の彫刻のクラスにも出席し、美術学校の校長、オノリオ・ルオットロに彫刻に専念することを勧められます。

1927年、グッゲンハイム奨学金を獲得し、パリに留学し、半年間、ロダンの弟子である抽象彫刻家のコンスタンチン・ブランクーシの弟子となり、夜間の美術学校に通います。

翌1928年にニューヨークに戻り、最初の個展を開きます。

1941年、第二次世界大戦勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際に、自らアリゾナ州の「日系人強制収容所」に志願拘留されますが、アメリカ人との混血ということでアメリカ側のスパイとの噂がたち、日本人社会から冷遇されたため、自ら収容所からの出所を希望するも、今度は日本人であるとして出所はできませんでした。後に芸術家仲間フランク・ロイド・ライトらの嘆願書により出所、その後はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構えます。

1947年、ハーマンミラー社のディレクター、ジョージ・ネルソンの依頼で、「ノグチ・テーブル」をデザイン・製作するなどインテリアデザインの作品に手を染め、その2年後から岐阜ちょうちんをモチーフにした、現在までロングセラーの「あかり(Akari)」シリーズのデザインを開始します。

1951年、日本へ移住し山口淑子と結婚(4年後に離婚)。鎌倉の魯山人に陶芸を学び素焼の作品制作に没頭し、この頃に魯山人の邸宅敷地内にアトリエ兼住まいも構えます。

1952年には広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)にノグチのデザインが選ばれましたが、原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由で選考から外されます。しかし彼のデザインの一部は、平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に生かされています(丹下はこのプロジェクトにノグチの起用を推挙した)。また平和公園の東西両端に位置する平和大橋・西平和大橋のデザインはノグチの手によるものです。彼は後年、アメリカ大統領の慰霊碑を設計したこともありますが、こちらは日本人であるとの理由で却下されました。

1969年、ユネスコ庭園への作品素材に香川県牟礼町(現・高松市)の花崗岩を使ったことをきっかけに牟礼町にアトリエを構え、「あかり (Akari)」シリーズを発表。ここを日本での製作本拠とし、アメリカでの本拠・ニューヨークとの往来をしながら作品製作を行います。

1984年、コロンビア大学より名誉博士号を授与され、ニューヨーク州知事賞を受賞。

1985年、翌年開催のヴェネツィア・ビエンナーレ(第42回)のアメリカ代表に選出さます。また、ニューヨークにイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムを開設します。日本では香川県のアトリエがイサム・ノグチ庭園美術館として公開されています。

1987年にはロナルド・レーガン大統領からアメリカ国民芸術勲章を受勲します。

1988年、勲三等瑞宝章を受勲し、札幌・モエレ沼公園の計画にも取り組んでいましたが、12月30日、心不全によりニューヨーク大学病院で死去。

1989年、遺志を継ぎ、和泉正敏が制作した遺作「タイム・アンド・スペース」が完成し、新高松空港に設置されました。

他の主な作品に、アメリカIBM本部の二つの庭園、横浜のこどもの国での遊園地の設計、シアトル美術館に彫刻作品「黒い太陽」、東京国立近代美術館の「門」、大阪万国博覧会の噴水作品、パーム・ビーチ彫刻競技会の作品「インテトラ」(2等受賞)、東京の最高裁判所に噴水、などがあります。

2004年に生誕100周年を迎え、これを期にヴィトラ・デザイン・ミュージアムが販売権利を獲得し、魅力的な作品が続々と復刻され話題となっています。


イサム・ノグチ/1946年/フリーフォームソファ

イサム・ノグチ/1946年/フリーフォームオットマン

イサム・ノグチ/1954年/ロッキングスツール


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ジョージ・ナカシマ George Nakashima

1905年、ワシントン州スポーケン市に生まれ、1990年(85歳)、ペンシルヴァニア州ニューホープの工房にて亡くなった、日系二世の家具デザイナー、建築家です。デザイナーというよりも、自ら「木匠」と呼ばれることにこだわった木工家具作家で、木工家としてはパイオニア的な存在の一人です。

福沢諭吉に学んだ士族でジャーナリストとして渡米した父、中島勝治と、明治宮廷の女官の母、寿々との間に生まれます。

1930年(25歳)、シアトルのワシントン大学を卒業後、ハーバード大学大学院でデザインの勉強をするために奨学金を得ますが、バウハウスを嫌い、すぐにケンブリッジのマサチューセッツ工科大学へ転校、そこで建築学修士号を取得します。

1933年から34年、世界一周の旅に出て、ロンドン・パリに滞在、ル・コルビジェのスイス館の建築現場に通い、その後、インド、中国を回って来日します。

帝国ホテル建設の際にフランク・ロイド・ライトに伴って来日し、1934年から36年、父の友人の紹介でチェコ人の建築家、東京のアントニン・レイモンド建築事務所に入所し、前川國男や吉村順三らの若い同僚とともに働きます。日本建築士の草分け時代のことです。

1937年から39年、レイモンド事務所の設計者として、インド、ポンディシュリのヒンドゥー教の導師と共に暮らす生活共同体の居住施設の設計に参加し、2年間修道者と共同生活し、ヒンドゥー教の修行を積みます。

1941年(36歳)、東京で英語教師をしていたアメリカ生まれの岡島すみれ(マリオン)と結婚し、太平洋戦争のため帰米します。そこで、フランク・ロイド・ライトの仕事に失望し、自身が最初から最後まで統合できる新しい職業を見つけることを決心して、家具の世界に踏み込みます。

1942年から43年、アイダホ州日本人キャンプに家族とともに抑留されますが、そこで日系二世の大工と知り合い、基本的な木工技術と木についての知識を得ます。

1945年(40歳)、米国に帰国したレイモンドを頼ってペンシルヴァニア州ニューホープに移り住み、家のガレージに工房をつくり、デザインから製作まで一貫した家具作りを始めます。

1946年土地を譲り受け、ノール社のため量産向けの椅子(アームチェアー)発表します。

1952年、アメリカ建築家協会からオリジナルデザインの家具製作に対し、クラフトマンシップのゴールドメダルを受け、1964年来日し、香川県の桜製作所にてデザイン協力と作品製作を始め、日本での初個展を東京小田急ハルクで開催し注目を集めます。

1972年、ワシントンのスミソニアン美術館協会などで世界的な木工作家に選ばれ出品し、1973年から74年、元副大統領のネルソン・ロックフェラー邸のために、220点以上のインテリアと家具のデザインをし、1983年には、日本より勲三等瑞宝章を受けました。

1986年、ニューヨークのメトロポリタン美術館のためにインテリアと家具のデザインし、1989年から90年、ニューヨークのアメリカンクラフト美術館など全米で大規模な回顧展が巡回されました。

1990年ニューホープの工房にて逝去後、1993年、日本全国4都市の美術館で回顧展が巡回されました。


ジョージ・ナカシマ/不明/グラスシートチェア

ジョージ・ナカシマ/1950年/ミラチェアL

ジョージ・ナカシマ/1952年以降/ミラチェアH

ジョージ・ナカシマ/1955年/ニューチェア

ジョージ・ナカシマ/1955年以降/ニューチェアアーム

ジョージ・ナカシマ/1958年/アームチェア

GeorgeNakashimaConoid.jpgジョージ・ナカシマ/1959年/コノイドチェア

ジョージ・ナカシマ/1960年/ラウンジチェア

ジョージ・ナカシマ/1960年以降/ラウンジアーム

ジョージ・ナカシマ/1960年以降/ラウンジアームロック

ジョージ・ナカシマ/1980年/コノイドラウンジ


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チャールズ&レイ・イームズ Charles & Ray Eames

ミッドセンチュリーモダンの巨匠と称される夫チャールズと妻レイのアメリカ人夫妻です。

夫チャールズは、1907年に生まれ1978年(71歳)に亡くなり、妻レイは、1912年に生まれ1988年(76歳)で亡くなりました。

チャールズは、1940年(33歳)、MoMA(ニューヨーク近代美術館)のデザインコンペで、エーロ・サーリネンとの共同でエントリーした「プライウッドの椅子」で優勝しました。

翌1941年(34歳)、制作をサポートしていたレイと結婚し、ロサンゼルスで2人の共同作業をスタートさせました(チャールズ&レイ・イームズ事務所:1943-1988年)。

第二次世界大戦中は、アメリカ海軍から依頼された負傷兵の脚の添え木を開発するプロジェクトで、プライウッドの技術を進化させました。

三次元曲面のプライウッドを大量生産できるように改良した技術…これこそがイームズ最大の功績と言われています。

最大多数の人に、最高のものを、最大個数、最低価格で」をモットーに、家具の素材として、初期のプライウッドから始まり、プラスチック(FRP)・ワイヤーといった工業生産による新素材を選びました。

「イームズ・カラー」と呼ばれる、軽やかで鮮やかな色彩も特徴的です。

家具のデザイナーとしてだけでなく、建築、映画、グラフィックなど多方面で活躍しました。


ミッドセンチュリー…世紀の半ば。1940年から1960年代にかけてアメリカを中心におこった新しい家具デザインのムーブメント。

プライウッド(plywood)…薄い木材の板を繊維が交差するように層を重ねて接着剤で貼り合わせた合板。安価で加工性に優れる。加熱プレスして曲面に加工したものを成形合板という。

※ FRP…Fiber Reinforced Plastics(Fiber=繊維、Reinforced=強化された、 Plastics=プラスチック)の略。繊維と樹脂(グラスファイバー)で補強された強化プラスチック。

※ ハーマンミラー社(Herman Miller)…1946年、当時のデザインディレクターであったジョージ・ネルソンの尽力により、デザインコンサルタントとしてイームズと契約。イームズ・ファニチャーを全て作っている米国唯一のメーカー。


EamesSaarinenOrganic.jpgチャールズ・イームズ&エーロ・サーリネン/1940年/オーガニックチェア

EamesChildrens.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1945年/チルドレンズチェア

EamesChildrensStool.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1945年/チルドレンズスツール

EamesDCW.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1945年/DCW

EamesLCW.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1945年/LCW 既存色3色

チャールズ&レイ・イームズ/1945年/LCW 新色7色

 EamesLCWCowhide.jpg チャールズ&レイ・イームズ/1945年/LCW/カウハイド

EamesDCM.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1946年/DCM

EamesLCM.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1946年/LCM

EamesLaChiese.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/ラシェーズ

 EamesDSX.jpg チャールズ&レイ・イームズ/1948年/DSX

 EamesDAX.jpg チャールズ&レイ・イームズ/1948年/DAX

EamesDSS.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/DSS

EamesDSR.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/DSR

チャールズ&レイ・イームズ/1948年/DSR/屋外仕様

EamesDSRWineRed.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/DSR/特別色ワインレッド

 EamesDSR-5S.jpg チャールズ&レイ・イームズ/1948年/DSR-5S

EamesDAR.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/DAR

チャールズ&レイ・イームズ/1948年/DAR/シートパッド付き

EamesDSW.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/DSW

 EamesDAW.jpg チャールズ&レイ・イームズ/1948年/DAW

EamesRSR.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/RSR

EamesRAR.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/RAR

EamesLSR.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/LSR

EamesLAR.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/LAR

チャールズ&レイ・イームズ/1948年/PSCC

EamesPACC.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/PACC

EamesPACCSeatPad.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/PACC/シートパッド付き

EamesVintage.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1948年/シェルチェア/ヴィンテージ

EamesDKR0.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1951年/DKR-0

EamesDKR2.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1951年/DKR-2/ファブリック

EamesDKR2Leather.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1951年/DKR-2/レザー

EamesDKR5.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1951年/DKR-5

チャールズ&レイ・イームズ/1951年/DKR-5/レザー

CharleRayEamesSofaCompact.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1954年/ソファコンパクト

 EamesLoungeChairOttoman.jpg チャールズ&レイ・イームズ/1956年/イームズ ラウンジチェア&オットマン

EameseAluminumSide.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1958年/アルミナムグループ/サイドチェア

EameseAluminumArm.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1958年/アルミナムグループ/アームチェア

EameseAluminumManagement.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1958年/アルミナムグループ/マネージメント

EameseAluminumExecutive.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1958年/アルミナムグループ/エグゼクティブ

EameseExecutive.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1960年/エグゼクティブチェア

EamesWalnutStool.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1960年/ウォールナットスツール

EamesTandem2.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1962年/タンデムスリングシーティング/2シート

EamesTandem3.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1962年/タンデムスリングシーティング/3シート

EamesChaise.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1968年/チェイス

EameseSoftPadSide.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1969年/ソフトパッドグループ/サイドチェア

EameseSoftPadArm.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1969年/ソフトパッドグループ/アームチェア

EameseSoftPadManagement.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1969年/ソフトパッドグループ/マネージメント

EameseSoftPadExecutive.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1969年/ソフトパッドグループ/エグゼクティブ

チャールズ&レイ・イームズ/1969年/ソフトパッドグループ/ラウンジチェア&オットマン

CharleRayEamesSofa1seat.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1984年/クラシックソファ1シーター

CharleRayEamesSofa2seat.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1984年/クラシックソファ2シーター

CharleRayEamesSofa3seat.jpgチャールズ&レイ・イームズ/1984年/クラシックソファ3シーター


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ジョージ・ネルソン George Nelson

1908年アメリカに生まれ、1986年(77歳)に亡くなりました。

彼自身たくさんの作品をデザインしているのですが、デザイナーというよりも、アメリカのミッドセンチュリーモダンデザインを作り上げた「プロデューサー」という肩書きのほうがしっくりくるような気がします。
23歳でイエール大学の芸術学士号を取得、その後建築事務所を立ち上げ、建築雑誌の編集長、建築ジャーナリストなどを経て、1946年(38歳)からの20年間ハーマンミラー社のデザインディレクター、後にコンサルタントとして、長きに渡り多方面で活躍しました。

無名だったチャールズ&レイイームズ夫妻やイサムノグチの才能を、いち早く見い出した人物でもあります。

イームズ夫妻と共にハーマンミラー社を、無名の家具製造会社から世界のトップ企業にまで成長させました

1947年(39歳)には、ニューヨークに「ジョージ・ネルソン・アソシエツ」を設立し、「マシュマロソファ」「ココナッツチェア」「ボール・クロック」などを発表しました。

マシュマロソファ」をはじめ、彼の有名どころの作品は、実際には彼のチームに属したデザイナー達がデザインしたものだったと言われています。しかし、ネルソンの手腕がそれを導き出したわけで、そういう意味でやっぱり凄腕の敏腕プロデューサーでした。


GeorgeNelsonNelsonPlatformBench.jpgジョージ・ネルソン/1946年/プラットフォームベンチ

NelsonDaybed.jpgジョージ・ネルソン/1948年/デイベッド

GeorgeNelsonNelsonCoconutChair.jpgジョージ・ネルソン/1955年/ココナッツチェア

GeorgeNelsonNelsonMarshmallowSofa.jpgジョージ・ネルソン/1956年/マシュマロソファ

GeorgeNelsonNelsonDAF.jpgジョージ・ネルソン/1958年/スワッグレッググループ アームチェア(DAF)

NelsonCubeArm.jpgジョージ・ネルソン/1967年/ネルソンキューブ/アームチェア

ジョージ・ネルソン/1967年/ネルソンキューブ/ソファ


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エーロ・サーリネン Eero Saarinen

1910年フィンランドのヘルシンキで生まれ、13歳のときアメリカに移住、1961年(51歳)に脳腫瘍のためアメリカ・ミシガン州で亡くなりました。

アメリカで活躍した建築家・プロダクトデザイナーで、イームズと同時代を生きた、20世紀のアメリカを代表する巨匠の一人です。

多くの建築物や家具を手掛けましたが、シンプルで印象的な「アーチ状構造」を作品に多く取り入れていることで有名です。

19歳から1年間パリで彫刻を学んだ後、アメリカ・ミシガン州のクランブルック美術大学で教える父の講座に学び、24歳でイェール大学の建築学の学位を取得しました。

クランブルック美術大学では、イームズと共同研究もしていた仲で、お互いにデザイン面で切磋琢磨し、その後、イームズはハーマンミラー社サーリネンはノール社の専属デザイナーとして活躍しました。

建築家としては、セントルイスの「ゲートウェイ・アーチ」やジョン・F・ケネディ国際空港のTWAターミナルビルなど、コンクリート・シェル構造を用いた曲線的で表現主義的なスタイルの建築で一世を風靡しました。

また、建築の中の内装や家具デザインも多数手掛けており、その曲線を用いた未来的なデザインも20世紀中期を代表するものです。

若くして亡くなったため、「ゲートウェイ・アーチ」をはじめ多くのプロジェクトが未完成でしたが、彼の下で働いていた建築家ケヴィン・ローチなどにより、その後多くが完成されました。

※ ゲートウェイ・アーチ…サーリネンの没後、1963年に着工、1965年に竣工された、セントルイスおよび西部開拓のシンボルとして親しまれている、高さ192m・幅192mの巨大なアーチ。


EamesSaarinenOrganic.jpgチャールズ・イームズ&エーロ・サーリネン/1940年/オーガニックチェア

EeroSaarinenArmChair.jpgエーロ・サーリネン/1957年/チューリップチェア アームチェア

エーロ・サーリネン/1957年/チューリップチェア サイドチェア


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渡辺力 Riki Watanabe

1911年東京に生まれ、現在も時計や家具などのデザイン監修を中心に活動を続けている、戦後日本のデザイン運動を牽引してきたデザイナーです。

1936年東京高等工芸学校木材工芸学科卒業後、ブルーノ・タウトが指導をしていた群馬県工芸所を経て、1949年(38歳)渡辺力デザイン事務所を設立しました。

1952年、処女作「ヒモイス」を発表します。この椅子は、戦後の物資が不足している時代に、材料の有効活用とローコストを考えて編み出された作品で、座と背の紐の張られた部分に座布団を置いて使います。それまで「椅子に座る」という生活習慣を持たなかった日本人によって考えられた最初の椅子として、国内外で注目されまし た。

1956年同事務所をQデザイナーズに改称し、渡辺優、松村勝男と共にスタートし、同年、伝統的な素材である籐をデザインのプロセスで捉えなおした「トリイスツール」をデザインします。

1957年「トリイスツール」と「円形センターテーブル」が、ミラノトリエンナーレで金賞を受賞しました。
1972年の日比谷第一生命のポール時計を発表します。インテリアや家具のデザインとは異なる重厚な建築物ということで、彼自ら会心の作と認める作品で、日比谷の街の顔となったあまりに有名な作品です。

1930年代、今日一般にバウハウスル・コルビジェに典型的な思想と作品が見出されるとされるモダン・デザインに触れた渡辺は、機能に裏打ちされ、かつ日本の生活に立脚したかたちを追求してきました。

1950年以降、家具やプロダクトで日本のモダン・デザインを代表する作品を発表し、デザインという言葉が日本社会にいまだ十分に定着していなかった戦後間もない頃、いちはやく確固たる自覚と主張をもって登場しました。

その後も長きにわたり、住宅建築や企業のビル、大規模なホテルで総合的なインテリア・デザインを数多く手がけ、室内空間から発想し、生活を取り巻くものが生き生きと存在する場を時代のなかで生み出すというデザインの姿勢を貫いてきました。

こうした実践に加え、日本インダストリアル・デザイナー協会(JIDA)や、手仕事の発掘と普及をめざしたクラフト・センター・ジャパンの設立、 そのほか多くの批評活動をとおして、いまだ黎明期にあった日本のデザイン運動に方向を与えその発展に尽力したという点でも、重要な役割を果たしています。



渡辺力/1954年/ソリッドスツール

WatanabeRikiKidsSet.jpg渡辺力/1965年/カートンファニチャーシリーズ/キッズセット

WatanabeRikiHighStool.jpg渡辺力/1965年/カートンファニチャーシリーズ/ハイスツール

WatanabeRikiLowStool.jpg渡辺力/1965年/カートンファニチャーシリーズ/ロースツール


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ハンス・J・ウェグナー Hans J Wegner

1914年デンマークのトゥナーに生まれ、2007年(92歳)に亡くなった、家具デザイナーです。

椅子のデザインと言えば「建築家」出身のデザイナーも多数いますが、ウェグナーは徹底的に素材としての「木」を研究し、座りやすさを追及した伝統的な「職人」として、北欧デザイン界を代表する典型的な「家具デザイナー」であり、現代の椅子の一つの基準を作り上げました。

1900年代前半に活躍したデンマーク家具デザインの祖コーア・クリントの「手の仕事」と「リデザイン」を重視したデザイン思想そのまま、「デザイナーである前に職人であれ」というモットーを持ち、図面を描くだけでなく、模型や試作品を自ら作ることで様々な問題点を見つけ出し、最適な製造方法を模索していきました。

1931年(17歳)には早くもマイスター(家具職人プロライセンス)を取得し、5年間国立産業研究所に通い「木材」についての専門的な研究を重ね、1938年コペンハーゲン美術工芸学校(家具設計専攻)卒業しました。

1940年(26歳)よりデンマークの巨匠アルネ・ヤコブセンの事務所に勤めると同時に椅子のデザインを始め、29歳で独立しました。

転機が訪れたのは1950年(36歳)、アメリカの雑誌「インテリアーズ」新年号の表紙に、代表作となる「ザ・チェア」が掲載され、「世界で最も美しい椅子」という評価を得たことでした。それをきっかけにアメリカで評判を呼び、大量の注文が押し寄せ、1960年の大統領選では、ケネディとニクソンとのテレビ討論会にも使われ、歴史に残る椅子となりました。

以降500種類以上もの椅子をデザインし、国内外を問わず多くの展示会に出展し賞を受け、その作品はMoMA(ニューヨーク近代美術館)を始め多くの公共機関にコレクションされています。

1984年(70歳)デンマーク女王よりナイトの称号を受け、1995年(81歳)ウェグナー美術館(トゥナー・ミュージアム)がオープンしました。

ウェグナーの作品は、ヨハネス・ハンセン、フリッツ・ハンセン、アンドレアス・タック、ゲタマA.P.ストレン、カールハンセン&サン、PPモブラーなどで製造されています。

リデザイン…古い伝統的な椅子や先人がデザインした椅子を研究し、それを元にして、時代にあったフォルムや製造技術、材料を使った椅子を開発していく北欧独自の思想。単に模倣するのではなく、手本にする椅子を超えていこうという意志がある点で、真似やコピーとは違う。


ハンス・J・ウェグナー/1944年/チャイナチェア

ハンス・J・ウェグナー/1949年/Yチェア

ハンス・J・ウェグナー/1962年/CH36

ハンス・J・ウェグナー/1963年/スリーレッグドシェルチェア

ハンス・J・ウェグナー/2007年/スリーレッグドシェルチェア/アニバーサリーモデル


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柳宗理 やなぎむねみち やなぎそうり Sori Yanagi

1915年(大正4年)東京原宿生まれの、日本を代表するインダストリアルデザイナー、テキスタイルデザイナーの一人です。ユニークな形態と意外な実用性を兼ね備えた作品が多く、「エレファントスツール」、通称「象の足」のスタッキングスツールが特に有名です。海外では「Sori Yanagi」と呼ばれており、国内でも「そうり」という発音で呼ばれることが多いです。

白樺派の父・柳宗悦、当時の日本を代表するアルト歌手、母・兼子の三人兄弟の長男として生まれました。園芸研究家・柳宗民、美術史家・柳宗玄は実弟です。

幼少期は千葉県我孫子の手賀沼で育ちます。すぐそばには同じ白樺派の志賀直哉や武者小路実篤が住み、イギリス人の陶芸家バーナード・リーチの窯がありました。その頃の柳家は、白樺派が集めたロダンの彫刻やセザンヌの絵が置かれ、様々な文人、芸術家が出入りし、日本のどこよりも早く西洋美術や日本の文学に触れることのできる場所でした。

その後、大正2年の関東大震災などを経て、一家は京都に移り住みます。中学卒業の頃、一家は再び活動を東京に移し小石川、そして目黒区の駒場へ(現在・日本民藝館西館)移ります。

1934年、東京美術学校(現・東京芸術大学)油絵科に入学、現代デザイン思想発祥の地であるバウハウス帰りの水谷武彦の講義に大きなショックを受け、フランス人建築家、ル・コルビュジエの「現代の装飾芸術」に感激します。装飾のないところに真の装飾があることを述べた、機械時代の到来を告げた本であり、その中に、宗理は自分の進んでいく道を見つけ始めます。

大学を卒業後、幸運にも、商工省の招きで来日した、ル・コルビュジエの協力者「シャルロット・ペリアン」女史のアシスタントとなり、全国を歩きます。その機械時代の最先端にいるはずのペリアンが選ぶものは、宗理が反発したはずの「民藝」でした。ペリアンを通じ、「伝統と創造」というのは同じところにあると気が付きます。

1942年、坂倉準三建築事務所の一員となりますが、1943年、戦争により陸軍報道部の一員としてフィリピンへ赴きます。コルビュジエの「輝ける都市」を肌身離さずもっていたといいます。

終戦そして帰国後の昭和22年から工業デザインに着手し、陶器のデザインをしますが、終戦直後の物資不足の中、焼成の燃料持参でなければ窯業所は生産を行わないため、海中に沈没した軍の徴用船から石炭を運びだし焼成にこぎつけます。

1952年、毎日新聞社主催の第一回工業デザインコンクールで第一席及び二席に併せて入選を果たし、これを期に、財団法人柳デザイン研究会を設立します。

1957年、第11回ミラノ・トリエンナーレに招待出品し、「バタフライ・スツール」が金賞受賞。その後はデザイナーとして国際的に活動、1977年、日本民芸協会会長、翌年には日本民芸館館長に就任します。1980年にはイタリア在住のデザイナーでさえも推挙がなければ困難とされる「ミラノ市近代美術館」でデザイナー初の個展を開きます。1981年紫綬褒章、2002年文化功労者を受賞。

日本の生活に合わせたという椅子「バタフライ・スツール」や、照明、オート三輪、陸橋、オリンビックの聖火台まで幅の広い仕事を見せ、ニューヨーク近代美術館やルーブル美術館、ポンピドーセンター、ヴィトラミュージアムなどには作品が永久保存されています。

四谷にある柳デザイン研究会には、たくさんの模型や轆轤台、石膏型などが並んでいます。図面をひくだけでなく、かならず模型を作って構造を確かめていく、それが柳式デザインなのです。

売る側の論理ばかりが優先される消費社会を批判し、自分の眼力を信じて行動してきた柳宗理は、モダン・デザインブームが再び来ようとも、常に変わらずにデザインを愛し、現在も現役で「創造」を続ける毎日なのです。


柳宗理公式サイト


柳宗理/1954年/バタフライスツール

柳宗理/1954年/エレファントスツール


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ハリー・ベルトイア Harry Bertoia

1915年イタリアに生まれ、1930年(15歳)にアメリカ合衆国に移民して、1978年(63歳)亡くなりました。

イームズやジョージ・ネルソンと並び、ミッドセンチュリー期の代表的なデザイナーです。

もともとは「金属彫刻家」で、その経験を生かし、プライウッド(成形合板)ではなく、スチールワイヤーによるシェル構造で椅子をデザインしました。

プライフォーム・ウッド社(イームズ夫妻が設立した会社)・エヴァンス社(プライフォーム・ウッド社が経営難で身売りした会社)で、イームズ夫妻と共にプライウッドの加工技術を共同開発したりしましたが、ベルトイア自身はなかなか評価はされませんでした。

その後、イームズとは方向性の違いや権利の問題でこじれ、またベルトイアの才能を認めていたノール氏の協力もあり、1950年(35歳)ノール社(Knoll)にデザイナーとして移りました。

そこでは自由に作品を制作する場を与えられ、1952年「ダイアモンドチェア」「サイドチェア」などのワイヤーシリーズを完成させ、大ヒット商品となりました。

ベルトイアはそのワイヤーシリーズの特許権使用料で、残りの人生を彫刻に捧げ、再び椅子のデザインをすることはありませんでした。

しかし、彫刻家として、工業用鉄線をデザインの対象物へと変換した彼の功績は計り知れません。


HarryBertoiaDiamond.jpgハリー・ベルトイア/ダイヤモンドチェア

HarryBertoiaBetoiaSideChair.jpgハリー・ベルトイア/ベルトイアチェア


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ポール・M・ヴォルター Poul M. Volther

1923年デンマークに生まれ、2001年(78歳)に亡くなった、建築家、家具デザイナーです。

建築家としても評価の高かったヴォルターは、家具のデザインにおいても異素材を巧みに組み合わせた、構築的なフォルムを得意としていました。

完璧主義を追い求める建築家グループに属し、家具のデザインや機能性においても完璧を求めました。優れた素材とシンプルさをこよなく愛し、一過性の流行や思い付きの軽薄さを否定した彼の傑作である「コロナチェア」は他のものと一線を画しています。

デンマークの家具メーカー、エリックヨルゲンセン社(Erik Jorgensen)からは、「コロナチェア」の各バリエーションを始め、オットマンやテーブルなど、彼の創作性が伺える多数のプロダクトが再発されています。


ポール・M・ヴォルター/1964年/コロナチェア


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ヴェルナー・パントン Verner Panton

1926年デンマークに生まれ、スイスに移住しそこで晩年を過ごし、1998年(72歳)に亡くなった、ミッドセンチュリーを代表するデザイナーです。

1947年からコペンハーゲンの名門「王立美術アカデミー」で建築学を専攻後、1950年から2年間、当時の北欧のトップであったアルネ・ヤコブセンの建築事務所でヤコブセンの助手を務め、1955年には若干29歳で建築デザイン事務所を設立しました。

1960年頃に確立されたスカンジナビアン・モダンに大きな影響を受けますが、「木」を使った北欧の伝統的な技法を嫌い、デザイナーを束縛せず、安価で大量生産できるプラスティック素材に魅了されていきました。その独特の色彩構成、幾何学的な模様、空間形成は、いまだ他の追随を許しません。

中でも代表作といえば、1960年にデザインされた「パントンチェア」です。世界初のプラスティックの一体成形という画期的なアイデアで、1967年に発表されるやいなや世界中で絶賛を受けました。

また、家具のデザインにとどまらず、ランプ、カーペット、カーテン、時計、衣服、サイケな展示会などの幅広いカテゴリーの商品デザインを手掛け、フリッツハンセン社、ルイスポールセン社、トーネット社、ハーマンミラー社、そしてヴィトラ社で数多くのデザインを残し、現在も生産され続けています。特に、ルイスポールセン社から発表されている照明器具は有名です。

デンマーク人でありながら、主な活動場所をスイスとしたヴェルナー・パントンですが、彼の作品からは、北欧デザインに見られる職人的アプローチでもなく、スイスの厳格な理性主義的な特徴でもない、どちらかというと戦後アメリカのデザインの手法に近いものが感じられます。


ヴェルナー・パントンの公式サイト


PantonHeartConeChair.jpgヴェルナー・パントン/1958年/ハートコーンチェア

PantonConeChair.jpgヴェルナー・パントン/1958年/コーンチェア

PantonChair.jpgヴェルナー・パントン/1967年/パントンチェア

PantonChairGentei.jpgヴェルナー・パントン/1967年/パントンチェア 限定色

PantonChairClassic.jpgヴェルナー・パントン/1967年/パントンチェア クラシック

PantonChairClassicGentei.jpgヴェルナー・パントン/1967年/パントンチェア クラシック 特別限定色 メタリックシルバー

PantonJunior.jpgヴェルナー・パントン/1967年/パントンジュニア

PantonAmoebe.jpgヴェルナー・パントン/1970年/アムーベ



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はじめまして。「椅子」って色々なデザイナーがいて色々な形があってとても興味深いです。人生の中でも「椅子」に座っている時間って結構長いですものね。よろしくお願いします。

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