2008.08/16(Sat)
パトリシア・ウルキオラ Patricia Urquiola マルモ 2シーターソファ・ウィズ・クッション MALMO 2 seater sofa with cushions

2002年にデザインされた、パトリシア・ウルキオラの「マルモ」です。
特徴は、そのまるでスポーツカーのようなスポーティー&エレガントな概観です。背もたれ及びアーム部分は浅くなだらかな曲線を描いています。
前面、側面は高級感漂うレザー張り。そしてもう一つの大きな特徴はその後面です。布地の赤一色の大胆な色使いが目を惹きます。背面のクッションはこれもまた高級なグースダウンが使用されています。
オフィスの応接室やロビーをはじめホームユースとして幅広い空間に対応し、圧倒的な存在感を見せつけます。
パトリシア・ウルキオラ の人物像及び作品一覧
☆ 正規品⇒モローゾ社:マルモ
☆ 正規品販売店⇒ヤマギワ

マルモ/正規品/モローゾ社/yamagiwa/\1,302,000(送料見積もり)
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タグ : パトリシア・ウルキオラ Patricia Urquiola マルモ 2シーター ソファ ウィズ クッション MALMO 2
2007.03/01(Thu)
ダイニングチェア一覧
2007.03/01(Thu)
ラウンジチェア/ソファ1人掛け一覧
2007.03/01(Thu)
オフィスチェア一覧
2007.03/01(Thu)
ソファ2人掛け一覧
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ソファ3人掛け一覧
2007.03/01(Thu)
ソファベッド一覧
2007.03/01(Thu)
スツール/ベンチ一覧
2007.03/01(Thu)
子供用チェア一覧
2007.02/28(Wed)
用語の説明
用語の説明です。理屈を言い出したらキリが無いので、世間で一般的に通用している意味です。
.リジナル…原物。本物。その当時の時代の正規品(デザイナーと正式な契約を結んだ会社が、通常そのデザイナーにロイヤリティーを支払い、製造した製品)。最近になってハーマンミラー社などが復刻版を製造していますが、それは復刻版で、オリジナルとは言いません。オリジナルはあくまで当時の製品なので、現在ではほぼ中古品でしか手に入りません。
イームズの場合⇒ハーマンミラー社が1960年〜1970年代に製造していた製品のみ。
▲凜ンテージ…もともとはブドウやワインの収穫量や収穫年のことで、良質のブドウが収穫できた年の極上ワインのことを言いました。そこから転じて、「原型としての完成度が非常に高いもの」、「最盛期に作られた質の良い製品」、のことを言います。本来は年代を特定できる製品に対して使われます。ただ単に‘古くて良いもの’ではありません。例えばイームズのチェアは、その時代を反映する良質の製品でしたから、ヴィンテージと言われます。椅子の世界では、オリジナルとヴィンテージはほぼ同じ意味です。
イームズの場合⇒ハーマンミラー社が1960年〜1970年代に製造していた製品のみ(オリジナルと同じ)。
正規品…デザイナーと正式な契約を結んでいる会社が製造している製品。
イームズの場合⇒a.ハーマンミラー社が1960年〜1970年代に製造していた製品(オリジナル) b.「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」が製造している現在の製品(正規復刻版)。
※現在イームズの承継者「イームズオフィス」が正式な契約を結んでいるのは、「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」の2社だけです。
ど刻版…デザインに対する版権の期限が切れた製品をオリジナルに忠実に復刻生産した製品。※若干意味は違いますが、レプリカとも言います。
a.正規復刻版…デザイナー若しくはその承継者にロイヤリティーを支払い、正規に契約を結んでいる会社が製造している復刻版。
イームズの場合⇒イームズの承継者「イームズオフィス」と今現在正式な契約を結んでいるのは、「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」の2社だけですから、その2社の製品だけが正規復刻版です。
b.正規でない復刻版(リプロダクト製品)(ジェネリック)…正規復刻版ではない復刻版。※「正規復刻版⇔リプロダクト製品(正規復刻版に対して、正規ではない復刻版のことをリプロダクト製品)」と言った使い方もします。
イームズの場合⇒「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」以外の会社が作った製品(イタリア・レザーフォーム社など)。
ゥ献Д優螢奪(ノーブランド)…意匠権が切れた製品。意匠権(20年の期限)が切れれば、どんな会社でもその製品を作ることが許されます。正規でない復刻版(リプロダクト製品)と同じ意味でも使われます。イタリアのレザーフォーム社は、正式な契約は結んでいなくても、会社としてみればしっかりした会社なので、それとは区別して、それこそ全くの無メーカーのものを指すこともあります。
イームズの場合⇒「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」以外の会社が作った製品(ノーブランドの会社など)。
Ε灰圈…問題外です。違法なコピーをした商品のことで販売をすれば違法行為です。椅子の世界でも、デザインされたものを発表してから20年以内に同じ商品を作って販売することなどは罰せられます。
イームズの場合⇒すべての椅子が、製品を発表してから20年以上経過しているので、誰が作っても良いわけで、イームズのコピー(違法な製品)は存在しません。しかし、正規品以外の製品を、コピーと言う場合もあります。
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.リジナル…原物。本物。その当時の時代の正規品(デザイナーと正式な契約を結んだ会社が、通常そのデザイナーにロイヤリティーを支払い、製造した製品)。最近になってハーマンミラー社などが復刻版を製造していますが、それは復刻版で、オリジナルとは言いません。オリジナルはあくまで当時の製品なので、現在ではほぼ中古品でしか手に入りません。
イームズの場合⇒ハーマンミラー社が1960年〜1970年代に製造していた製品のみ。
▲凜ンテージ…もともとはブドウやワインの収穫量や収穫年のことで、良質のブドウが収穫できた年の極上ワインのことを言いました。そこから転じて、「原型としての完成度が非常に高いもの」、「最盛期に作られた質の良い製品」、のことを言います。本来は年代を特定できる製品に対して使われます。ただ単に‘古くて良いもの’ではありません。例えばイームズのチェアは、その時代を反映する良質の製品でしたから、ヴィンテージと言われます。椅子の世界では、オリジナルとヴィンテージはほぼ同じ意味です。
イームズの場合⇒ハーマンミラー社が1960年〜1970年代に製造していた製品のみ(オリジナルと同じ)。
正規品…デザイナーと正式な契約を結んでいる会社が製造している製品。
イームズの場合⇒a.ハーマンミラー社が1960年〜1970年代に製造していた製品(オリジナル) b.「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」が製造している現在の製品(正規復刻版)。
※現在イームズの承継者「イームズオフィス」が正式な契約を結んでいるのは、「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」の2社だけです。
ど刻版…デザインに対する版権の期限が切れた製品をオリジナルに忠実に復刻生産した製品。※若干意味は違いますが、レプリカとも言います。
a.正規復刻版…デザイナー若しくはその承継者にロイヤリティーを支払い、正規に契約を結んでいる会社が製造している復刻版。
イームズの場合⇒イームズの承継者「イームズオフィス」と今現在正式な契約を結んでいるのは、「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」の2社だけですから、その2社の製品だけが正規復刻版です。
b.正規でない復刻版(リプロダクト製品)(ジェネリック)…正規復刻版ではない復刻版。※「正規復刻版⇔リプロダクト製品(正規復刻版に対して、正規ではない復刻版のことをリプロダクト製品)」と言った使い方もします。
イームズの場合⇒「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」以外の会社が作った製品(イタリア・レザーフォーム社など)。
ゥ献Д優螢奪(ノーブランド)…意匠権が切れた製品。意匠権(20年の期限)が切れれば、どんな会社でもその製品を作ることが許されます。正規でない復刻版(リプロダクト製品)と同じ意味でも使われます。イタリアのレザーフォーム社は、正式な契約は結んでいなくても、会社としてみればしっかりした会社なので、それとは区別して、それこそ全くの無メーカーのものを指すこともあります。
イームズの場合⇒「ハーマンミラー社」と「ヴィトラ社」以外の会社が作った製品(ノーブランドの会社など)。
Ε灰圈…問題外です。違法なコピーをした商品のことで販売をすれば違法行為です。椅子の世界でも、デザインされたものを発表してから20年以内に同じ商品を作って販売することなどは罰せられます。
イームズの場合⇒すべての椅子が、製品を発表してから20年以上経過しているので、誰が作っても良いわけで、イームズのコピー(違法な製品)は存在しません。しかし、正規品以外の製品を、コピーと言う場合もあります。
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2007.02/28(Wed)
椅子のメーカー
仮に今デザイナーズチェアを購入しようとする場合、正規品かリプロダクト品(ジェネリック)かの2者選択になります(オリジナル・ヴィンテージを除いた場合)。
それぞれに良さはありますが、まずはそのデザイナーの正規品を製造している会社を知っておくべきです。正規品ということは、そのデザイナーの設計図などを元に製作していますから、時代を経たとはいえ、限りなくオリジナルの形に近いからです。
正規品を製造している会社は、デザイナーによって違います。
正規品
アイソコンプラス社(Isokon Plus)/イギリス/1935年創業
マルセル・ブロイヤー
アルテック社(Artek)/フィンランド/1935年創業
アルヴァ・アアルト
エリックヨルゲンセン社(Erik Jorgensen)/デンマーク
ポール・M・ヴォルター
ヴィトラ社(Vitra)/スイス・ドイツ/1934年創業
ジャン・プルーヴェ
イサム・ノグチ
チャールズ&レイ・イームズ
柳宗理
ヴェルナー・パントン
マリオ・ベリーニ
カッシーナ社(Cassina)/イタリア/1927年創業
チャールズ・レニー・マッキントッシュ
ル・コルビジェ
マリオ・ベリーニ
カルテル社(Kartell)/イタリア/1949年創業
ジョエ・コロンボ
カール・ハンセン&サン社(Carl Hansen&Son)/デンマーク/1907年創業
ハンス・J・ウェグナー
クラシコン社(Classi Con)/ドイツ
アイリーン・グレイ
蟶製作所/日本/1948年創業
ジョージ・ナカシマ
ザノッタ社(Zanotta)/イタリア/1954年創業
ジョエ・コロンボ
天童木工社/日本/1949年創業
柳宗理
ノール社(Knoll)/アメリカ/1938年創業
ミース・ファン・デル・ローエ
マルセル・ブロイヤー
エーロ・サーリネン
ハリー・ベルトイア
ハーマンミラー社(Herman Miller)/アメリカ/1923年創業
チャールズ&レイ・イームズ
ジョージ・ネルソン
ヴェルナー・パントン
ドン・チャドウィック&ビル・スタンフ
フリッツハンセン社(Fritz Hansen)/デンマーク/1872年創業
アルネ・ヤコブセン
ハンス・J・ウェグナー
ポール・ケアホルム
ピエロ・リッソーニ
メトロポリタンプロダクツ社(Metropolitan Products)/日本
渡辺力
モローゾ社(MOROSO)/イタリア/1952年創業
パトリシア・ウルキオラ
マーク・ニューソン
ワルターノール社(WALTER KNOLL)/ドイツ/1865年創業
ノーマン・フォスター
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それぞれに良さはありますが、まずはそのデザイナーの正規品を製造している会社を知っておくべきです。正規品ということは、そのデザイナーの設計図などを元に製作していますから、時代を経たとはいえ、限りなくオリジナルの形に近いからです。
正規品を製造している会社は、デザイナーによって違います。
正規品
アイソコンプラス社(Isokon Plus)/イギリス/1935年創業
マルセル・ブロイヤー
アルテック社(Artek)/フィンランド/1935年創業
アルヴァ・アアルト
エリックヨルゲンセン社(Erik Jorgensen)/デンマーク
ポール・M・ヴォルター
ヴィトラ社(Vitra)/スイス・ドイツ/1934年創業
ジャン・プルーヴェ
イサム・ノグチ
チャールズ&レイ・イームズ
柳宗理
ヴェルナー・パントン
マリオ・ベリーニ
カッシーナ社(Cassina)/イタリア/1927年創業
チャールズ・レニー・マッキントッシュ
ル・コルビジェ
マリオ・ベリーニ
カルテル社(Kartell)/イタリア/1949年創業
ジョエ・コロンボ
カール・ハンセン&サン社(Carl Hansen&Son)/デンマーク/1907年創業
ハンス・J・ウェグナー
クラシコン社(Classi Con)/ドイツ
アイリーン・グレイ
蟶製作所/日本/1948年創業
ジョージ・ナカシマ
ザノッタ社(Zanotta)/イタリア/1954年創業
ジョエ・コロンボ
天童木工社/日本/1949年創業
柳宗理
ノール社(Knoll)/アメリカ/1938年創業
ミース・ファン・デル・ローエ
マルセル・ブロイヤー
エーロ・サーリネン
ハリー・ベルトイア
ハーマンミラー社(Herman Miller)/アメリカ/1923年創業
チャールズ&レイ・イームズ
ジョージ・ネルソン
ヴェルナー・パントン
ドン・チャドウィック&ビル・スタンフ
フリッツハンセン社(Fritz Hansen)/デンマーク/1872年創業
アルネ・ヤコブセン
ハンス・J・ウェグナー
ポール・ケアホルム
ピエロ・リッソーニ
メトロポリタンプロダクツ社(Metropolitan Products)/日本
渡辺力
モローゾ社(MOROSO)/イタリア/1952年創業
パトリシア・ウルキオラ
マーク・ニューソン
ワルターノール社(WALTER KNOLL)/ドイツ/1865年創業
ノーマン・フォスター
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2007.02/28(Wed)
チャールズ・レニー・マッキントッシュ Charles Rennie Mackintosh
1868年スコットランドのグラスゴーで生まれ、1928年(60歳)ロンドンで亡くなった、建築家・デザイナー・画家です。
表面的な様式主義に反発する英国で最初の建築家のうちの1人であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の1人です。
グラスゴー美術学校の夜間部で出合った、のちの妻マーガレット・マクドナルド、その妹フランセス・マクドナルド、職場の設計事務所の同僚のハーバート・マックニーを含めた4人は、ザ・フォー(The Four)と呼ばれ、グラスゴー、ロンドン、ウィーンの各地で展覧会を開き、その評判はマッキントッシュの名声を確立させるに至りました。
いわゆる、「グラスゴー・スタイル」と呼ばれるこの展覧会は、ヨーロッパ各地でその後も開かれ、ウィーン分離派に影響を与えたと言われています。
彼の作品は、グラスゴーでの1896年(28歳)から1910年の短期間に数少ない後援者の助けによって作成されました。
彼のスタイルは、微妙な曲がったモチーフを備え、強い直線の構造や要素を持っており、織物、家具および金属細工などを作成しました。ただ、特性あるスタイルにもかかわらず、建物は伝統尊重主義を保持し、明らかにスコットランドを感じさせます。
建築家としては、「ヒルハウス(Hill House)」(現在スコットランド・ナショナルトラスト所有)の設計などを手掛けました。
1923年には、建築家としての総てを捨て風景画を描くことに専念するため、フランスの南部に移り住み、地味な生活を送りながら貧困のうちに死を迎えます。多くの芸術家にありがちな、生前には評価されない不遇な人物でした。
ライラックピンクと称される色合いに人気があるイングリッシュローズ(イギリス薔薇)には、彼に因んで、「チャールズ・レニー・マッキントッシュ」と命名されています。
チャールズ・レニー・マッキントッシュ/1902年/ヒルハウスチェア
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表面的な様式主義に反発する英国で最初の建築家のうちの1人であり、スコットランドにおけるアール・ヌーヴォーの提唱者の1人です。
グラスゴー美術学校の夜間部で出合った、のちの妻マーガレット・マクドナルド、その妹フランセス・マクドナルド、職場の設計事務所の同僚のハーバート・マックニーを含めた4人は、ザ・フォー(The Four)と呼ばれ、グラスゴー、ロンドン、ウィーンの各地で展覧会を開き、その評判はマッキントッシュの名声を確立させるに至りました。
いわゆる、「グラスゴー・スタイル」と呼ばれるこの展覧会は、ヨーロッパ各地でその後も開かれ、ウィーン分離派に影響を与えたと言われています。
彼の作品は、グラスゴーでの1896年(28歳)から1910年の短期間に数少ない後援者の助けによって作成されました。
彼のスタイルは、微妙な曲がったモチーフを備え、強い直線の構造や要素を持っており、織物、家具および金属細工などを作成しました。ただ、特性あるスタイルにもかかわらず、建物は伝統尊重主義を保持し、明らかにスコットランドを感じさせます。
建築家としては、「ヒルハウス(Hill House)」(現在スコットランド・ナショナルトラスト所有)の設計などを手掛けました。
1923年には、建築家としての総てを捨て風景画を描くことに専念するため、フランスの南部に移り住み、地味な生活を送りながら貧困のうちに死を迎えます。多くの芸術家にありがちな、生前には評価されない不遇な人物でした。
ライラックピンクと称される色合いに人気があるイングリッシュローズ(イギリス薔薇)には、彼に因んで、「チャールズ・レニー・マッキントッシュ」と命名されています。
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2007.02/28(Wed)
アイリーン・グレイ Eileen Gray
1878年にアイルランドに生まれ、1976年(98歳)に亡くなりました。
裕福な貴族の家系、芸術的に恵まれた環境で育ち、ロンドン・パリで美術を専攻後、その後特にパリで活躍した女性デザイナー・建築家の草分け的存在です。
1922年(44歳)に彼女自身のインテリアデザイン事務所を開設し、1925年に始めてスチールパイプを使った家具を製作しました。
このアイデアをもとに、1926年(48歳)には建築家としてデビューし、1927年〜1929年にかけてフランスのロクブリュンに建築家としての処女作である別荘「E1027」を設計し、モダン建築とモダン家具を融合させ、その後も数々の名作を具現化しました。
彼女の最も有名な作品と言えば、このE1027の設計のときにデザインした「アジャスタブルテーブルE1027(Adjustable Table E1027)」で、世界で21のコピー商品があると言われているほどです。
スチールパイプという当時としては最先端の建築資材を家具製作に用いた手法は、後のデザイナーに多くの影響を与えました。
巨匠ル・コルビジェが1937年のパリ万博のパートナーとして彼女を選んだのも、彼女の自由でアバンギャルドな発想を認めてのことだったと言われています。
「私がやりたかったものは、私たちの時代にふさわしいもの、可能ではあったがまだ誰もやっていなかったものを創り出すこと。あの頃私たちが生きていた世界は、今では考えらないほど時代遅れだった。」…彼女の言葉です。
アイリーン・グレイ/1927年/デイ・ベッド
アイリーン・グレイ/1929年/モンテカルロ
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裕福な貴族の家系、芸術的に恵まれた環境で育ち、ロンドン・パリで美術を専攻後、その後特にパリで活躍した女性デザイナー・建築家の草分け的存在です。
1922年(44歳)に彼女自身のインテリアデザイン事務所を開設し、1925年に始めてスチールパイプを使った家具を製作しました。
このアイデアをもとに、1926年(48歳)には建築家としてデビューし、1927年〜1929年にかけてフランスのロクブリュンに建築家としての処女作である別荘「E1027」を設計し、モダン建築とモダン家具を融合させ、その後も数々の名作を具現化しました。
彼女の最も有名な作品と言えば、このE1027の設計のときにデザインした「アジャスタブルテーブルE1027(Adjustable Table E1027)」で、世界で21のコピー商品があると言われているほどです。
スチールパイプという当時としては最先端の建築資材を家具製作に用いた手法は、後のデザイナーに多くの影響を与えました。
巨匠ル・コルビジェが1937年のパリ万博のパートナーとして彼女を選んだのも、彼女の自由でアバンギャルドな発想を認めてのことだったと言われています。
「私がやりたかったものは、私たちの時代にふさわしいもの、可能ではあったがまだ誰もやっていなかったものを創り出すこと。あの頃私たちが生きていた世界は、今では考えらないほど時代遅れだった。」…彼女の言葉です。
アイリーン・グレイ/1927年/デイ・ベッド
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2007.02/27(Tue)
ミース・ファン・デル・ローエ Mies van der Rohe
1886年ドイツに生まれ、1969年(83歳)アメリカのシカゴで亡くなった、ドイツ人建築家です。
ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれています(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもあります)。
ル・コルビュジエ同様、彼もまた圧倒的に「建築家」としての著名人です。
「Less is more.(より少ないことはより豊かなこと)」、「神は細部に宿る」などの名言を残し、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献しました。
柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体がその内部にあらゆる機能を許容するという意味の「ユニヴァーサル・スペース」という概念を提示しました。
1929年(43歳)、バルセロナ万国博覧会で建設された「バルセロナ・パヴィリオン」は、鉄とガラスと大理石で構成された建築史上有名な建造物です。
また、同パヴィリオンのために彼がデザインしたのが、傑作「バルセロナ・チェア」です。
1930年(44歳)からはバウハウスの第3代校長を勤めましたが、3年後の1933年にナチスによってバウハウスが閉鎖されたため、アメリカに亡命しました。
1950年製作の四方をガラスの壁で囲んだ「ファンズワース邸」は、ユネスコ世界遺産に登録され、1958年竣工のガラスと鉄骨のニューヨークの超高層ビル「シーグラムビル」は、最もすぐれたデザインの超高層ビルと言われています。
※ バウハウス(Bauhaus)…1919年、ドイツ・ワイマールに設立された美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。「バウハウス」とはドイツ語で「建築の家」を意味する。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、表現傾向はモダニズム建築に大きな影響を与えた。
ミース・ファン・デル・ローエ/1927年/MRサイドチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1927年/MRアームチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1929年/バルセロナチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1929年/バルセロナスツール
ミース・ファン・デル・ローエ/1929年/MRラウンジチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1930年/ブルーノチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1930年/チューブラーアームチェア
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ル・コルビュジエ、フランク・ロイド・ライトと共に「近代建築の三大巨匠」と呼ばれています(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもあります)。
ル・コルビュジエ同様、彼もまた圧倒的に「建築家」としての著名人です。
「Less is more.(より少ないことはより豊かなこと)」、「神は細部に宿る」などの名言を残し、近代主義建築のコンセプトの成立に貢献しました。
柱と梁によるラーメン構造の均質な構造体がその内部にあらゆる機能を許容するという意味の「ユニヴァーサル・スペース」という概念を提示しました。
1929年(43歳)、バルセロナ万国博覧会で建設された「バルセロナ・パヴィリオン」は、鉄とガラスと大理石で構成された建築史上有名な建造物です。
また、同パヴィリオンのために彼がデザインしたのが、傑作「バルセロナ・チェア」です。
1930年(44歳)からはバウハウスの第3代校長を勤めましたが、3年後の1933年にナチスによってバウハウスが閉鎖されたため、アメリカに亡命しました。
1950年製作の四方をガラスの壁で囲んだ「ファンズワース邸」は、ユネスコ世界遺産に登録され、1958年竣工のガラスと鉄骨のニューヨークの超高層ビル「シーグラムビル」は、最もすぐれたデザインの超高層ビルと言われています。
※ バウハウス(Bauhaus)…1919年、ドイツ・ワイマールに設立された美術と建築に関する総合的な教育を行った学校。また、その流れを汲む合理主義的・機能主義的な芸術を指すこともある。「バウハウス」とはドイツ語で「建築の家」を意味する。学校として存在し得たのは、ナチスにより1933年に閉校されるまでのわずか14年間であるが、表現傾向はモダニズム建築に大きな影響を与えた。
ミース・ファン・デル・ローエ/1927年/MRサイドチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1927年/MRアームチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1929年/バルセロナチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1929年/バルセロナスツール
ミース・ファン・デル・ローエ/1929年/MRラウンジチェア
ミース・ファン・デル・ローエ/1930年/ブルーノチェア
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2007.02/27(Tue)
ル・コルビュジエ Le Corbusier
1887年スイスで生まれ、1965年(77歳)南フランスで水泳中に亡くなった、フランスで主に活躍した「建築家」です。
フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれています(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもあります)。
たくさんの家具のデザインも手掛けていますが、圧倒的に「建築家」としての著名人です。
本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(Charles-Edouard Jeanneret)で、ル・コルビュジエはペンネームです。
21歳でパリに渡り、建築事務所に勤めて建築を学び、35歳で自分の事務所を構えました。
建築家として、ドミノシステム、マルセイユのユニテ・ダビタシオン、パリ改造計画、輝く都市、近代建築の五原則、インドのチャンディーガル、クック邸、サヴォア邸、ロンシャン教会など、数々の有名な功績を残しました。
日本でも、東京上野の「国立西洋美術館」の本館の基本設計を手掛けています(日本にある彼の唯一の建築物)。これは、ユネスコ世界遺産登録のため、フランス政府から正式に推薦される予定です。
今でこそ世界中どこにでも見られるコンクリート打ちっぱなしの建物は、ル・コルビュジエが提唱したもので、彼の建築家としての最大の功績です。
「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という有名な言葉を残し、1997年4月から発行されている10スイスフラン札には、彼の肖像と作品が描かれています。
「300万人のための現代都市」構想案を発表するなど、都市計画家としても世界をリードした、ル・コルビュジエ。
だからでしょうか、すべての彼の椅子には建築家としてのスケールの大きさを感じます。
コルビュジエの家具は、単純な構成で最大の快適さを求め、「グランコンフォート(GRAND CONFORT):大いなる快適」と呼ばれています。
ル・コルビジェ/1928年/LC1
ル・コルビジェ/1928年/LC2/1シーター
ル・コルビジェ/1928年/LC2/2シーター
ル・コルビジェ/1928年/LC2/3シーター
ル・コルビジェ/1928年/LC4 シェーズロング
ル・コルビジェ/1928年/LC7 回転チェア
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フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に、「近代建築の三大巨匠」と呼ばれています(ヴァルター・グロピウスを加えて四大巨匠とすることもあります)。
たくさんの家具のデザインも手掛けていますが、圧倒的に「建築家」としての著名人です。
本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ(Charles-Edouard Jeanneret)で、ル・コルビュジエはペンネームです。
21歳でパリに渡り、建築事務所に勤めて建築を学び、35歳で自分の事務所を構えました。
建築家として、ドミノシステム、マルセイユのユニテ・ダビタシオン、パリ改造計画、輝く都市、近代建築の五原則、インドのチャンディーガル、クック邸、サヴォア邸、ロンシャン教会など、数々の有名な功績を残しました。
日本でも、東京上野の「国立西洋美術館」の本館の基本設計を手掛けています(日本にある彼の唯一の建築物)。これは、ユネスコ世界遺産登録のため、フランス政府から正式に推薦される予定です。
今でこそ世界中どこにでも見られるコンクリート打ちっぱなしの建物は、ル・コルビュジエが提唱したもので、彼の建築家としての最大の功績です。
「住宅は住むための機械である(machines à habiter)」という有名な言葉を残し、1997年4月から発行されている10スイスフラン札には、彼の肖像と作品が描かれています。
「300万人のための現代都市」構想案を発表するなど、都市計画家としても世界をリードした、ル・コルビュジエ。
だからでしょうか、すべての彼の椅子には建築家としてのスケールの大きさを感じます。
コルビュジエの家具は、単純な構成で最大の快適さを求め、「グランコンフォート(GRAND CONFORT):大いなる快適」と呼ばれています。
ル・コルビジェ/1928年/LC1
ル・コルビジェ/1928年/LC2/1シーター
ル・コルビジェ/1928年/LC2/2シーター
ル・コルビジェ/1928年/LC2/3シーター
ル・コルビジェ/1928年/LC4 シェーズロング
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2007.02/26(Mon)
アイノ・アアルト Aino Alto
1894年に生まれ、1949年(55歳)に亡くなった、20世紀を代表する建築家アルヴァ・アアルトの妻であり、仕事のパートナーでした(旧姓:アイノ・マルシオ)。
ヘルシンキ工科大学を卒業後、1924年(30歳)、仕事でまだ無名の建築家アルヴァ・アアルトの事務所を訪ね、そこで働き始めます。その後二人は結婚し、長いパートナー関係が始まります。
1932年のデザインコンペでは、アイノは夫のアルヴァを差し置いて、「アアルト・グラス」で優勝します。このアアルト・グラスは、1936年、ミラノ・トリエンナーレ展でも金賞を受賞しました。彼女の最も代表的な作品で、知的な世界の特徴がよく表れている作品です。
アイノは、女性の感性を生かし、日常生活での利用のための実用性と簡潔さを作品に反映させることを目指していました。この理想は、その後の多くの芸術家、デザイナーに大きな影響を与えましたし、当時のデザインプロダクトの都会化、大量生産、実用主義という1930年代の時代の潮流にもなり、現代にもなお受け継がれています。
夫のアルヴァ・アアルトとは、結婚以来ずっとインテリア・家具などの共同作者として数多くの仕事を共にこなし、後にアルテック社のデザインディレクターも務めました。


(↑参考:アイノ・アアルトタンブラー)
アイノ・アアルト/1930-40年/321ガーデンラウンジチェア
↓応援してくださ〜い。ペコリぃ〜〜
ヘルシンキ工科大学を卒業後、1924年(30歳)、仕事でまだ無名の建築家アルヴァ・アアルトの事務所を訪ね、そこで働き始めます。その後二人は結婚し、長いパートナー関係が始まります。
1932年のデザインコンペでは、アイノは夫のアルヴァを差し置いて、「アアルト・グラス」で優勝します。このアアルト・グラスは、1936年、ミラノ・トリエンナーレ展でも金賞を受賞しました。彼女の最も代表的な作品で、知的な世界の特徴がよく表れている作品です。
アイノは、女性の感性を生かし、日常生活での利用のための実用性と簡潔さを作品に反映させることを目指していました。この理想は、その後の多くの芸術家、デザイナーに大きな影響を与えましたし、当時のデザインプロダクトの都会化、大量生産、実用主義という1930年代の時代の潮流にもなり、現代にもなお受け継がれています。
夫のアルヴァ・アアルトとは、結婚以来ずっとインテリア・家具などの共同作者として数多くの仕事を共にこなし、後にアルテック社のデザインディレクターも務めました。

(↑参考:アイノ・アアルトタンブラー)
アイノ・アアルト/1930-40年/321ガーデンラウンジチェア↓応援してくださ〜い。ペコリぃ〜〜
2007.02/26(Mon)
フーゴ・アルヴァ・ヘンリク・アアルト Hugo Alvar Henrik Aalto
1898年に生まれ、1976年(78歳)に亡くなった、20世紀フィンランドを代表する建築家・デザイナーで、スウェーデンのグンナール・アスプルンドと並んで、北欧の近代建築家としてもっとも影響力があった一人です。
大規模な都市計画から、建築、家具、照明、テキスタイル、そして小さなガラス製品、絵画に至るまで幅広いデザインプロジェクトに関わり、それらすべてが調和して存在しているのが、アアルトスタイルです。
小さな生活雑貨や一脚の椅子が、大きな建築物や空間に醸し出す空気感まで視野に入れ、何よりも「ひと」を中心に置いた設計・デザインによって「世界の匠」として語り継がれています。
1921年、ヘルシンキ工科大学建築学科を卒業し、いくつかの都市を経て、1933年(35歳)にヘルシンキで設計事務所を開設し、デザイナーとしてはもちろん、マサチューセッツ工科大学で教鞭をとったり、またフィンランド・アカデミーの会長にも就任するなど活躍しました。
1935年には、自作の家具を国内外に販売するために、妻アイノ・アアルト、マイレ・グリクセン、ニルス・グスタフ・ハールと共同でアルテック社(Artek)を設立し、アアルトの作品を現在に至るまで製作・販売しています。
主な建築作品には、現代のフィンランド建築を象徴する、ヘルシンキのフィンランディア・ホール、ヘルシンキ工科大学のキャンパスなどがあり、また、ドイツ軍により 破壊されたサンタクロースの町「ロヴァニエミ」の復興には、都市計画段階から携わり、他にも、多目的ホール、図書館、市庁舎、教会、住宅などの設計も手掛けました。
プロダクトデザインとしては、イッタラ社が製作しているガラス食器やベース、アルテック社のプライウッドの椅子のシリーズが有名です。
フィンランドの風土や伝統の中に近代的感覚をいれた作品を多く残し、世界のミュージアムの永久保存品となっている作品も多数あります。
アルヴァ・アアルト/1929年/チェア611
アルヴァ・アアルト/1931年/アームチェア41パイミオ
アルヴァ・アアルト/1931年/アームチェア44
アルヴァ・アアルト/1931年/ソファ544
アルヴァ・アアルト/1933年/スツール60
アルヴァ・アアルト/1933年/スツールE60
大規模な都市計画から、建築、家具、照明、テキスタイル、そして小さなガラス製品、絵画に至るまで幅広いデザインプロジェクトに関わり、それらすべてが調和して存在しているのが、アアルトスタイルです。
小さな生活雑貨や一脚の椅子が、大きな建築物や空間に醸し出す空気感まで視野に入れ、何よりも「ひと」を中心に置いた設計・デザインによって「世界の匠」として語り継がれています。
1921年、ヘルシンキ工科大学建築学科を卒業し、いくつかの都市を経て、1933年(35歳)にヘルシンキで設計事務所を開設し、デザイナーとしてはもちろん、マサチューセッツ工科大学で教鞭をとったり、またフィンランド・アカデミーの会長にも就任するなど活躍しました。
1935年には、自作の家具を国内外に販売するために、妻アイノ・アアルト、マイレ・グリクセン、ニルス・グスタフ・ハールと共同でアルテック社(Artek)を設立し、アアルトの作品を現在に至るまで製作・販売しています。
主な建築作品には、現代のフィンランド建築を象徴する、ヘルシンキのフィンランディア・ホール、ヘルシンキ工科大学のキャンパスなどがあり、また、ドイツ軍により 破壊されたサンタクロースの町「ロヴァニエミ」の復興には、都市計画段階から携わり、他にも、多目的ホール、図書館、市庁舎、教会、住宅などの設計も手掛けました。
プロダクトデザインとしては、イッタラ社が製作しているガラス食器やベース、アルテック社のプライウッドの椅子のシリーズが有名です。
フィンランドの風土や伝統の中に近代的感覚をいれた作品を多く残し、世界のミュージアムの永久保存品となっている作品も多数あります。
アルヴァ・アアルト/1929年/チェア611
アルヴァ・アアルト/1931年/アームチェア41パイミオ
アルヴァ・アアルト/1931年/アームチェア44
アルヴァ・アアルト/1931年/ソファ544
アルヴァ・アアルト/1933年/スツール60
アルヴァ・アアルト/1933年/スツールE60

























































































































































