渡辺力 Riki Watanabe
1936年東京高等工芸学校木材工芸学科卒業後、ブルーノ・タウトが指導をしていた群馬県工芸所を経て、1949年(38歳)渡辺力デザイン事務所を設立しました。
1952年、処女作「ヒモイス」を発表します。この椅子は、戦後の物資が不足している時代に、材料の有効活用とローコストを考えて編み出された作品で、座と背の紐の張られた部分に座布団を置いて使います。それまで「椅子に座る」という生活習慣を持たなかった日本人によって考えられた最初の椅子として、国内外で注目されまし た。
1956年同事務所をQデザイナーズに改称し、渡辺優、松村勝男と共にスタートし、同年、伝統的な素材である籐をデザインのプロセスで捉えなおした「トリイスツール」をデザインします。
1957年「トリイスツール」と「円形センターテーブル」が、ミラノトリエンナーレで金賞を受賞しました。
1972年の日比谷第一生命のポール時計を発表します。インテリアや家具のデザインとは異なる重厚な建築物ということで、彼自ら会心の作と認める作品で、日比谷の街の顔となったあまりに有名な作品です。
1930年代、今日一般にバウハウスやル・コルビジェに典型的な思想と作品が見出されるとされるモダン・デザインに触れた渡辺は、機能に裏打ちされ、かつ日本の生活に立脚したかたちを追求してきました。
1950年以降、家具やプロダクトで日本のモダン・デザインを代表する作品を発表し、デザインという言葉が日本社会にいまだ十分に定着していなかった戦後間もない頃、いちはやく確固たる自覚と主張をもって登場しました。
その後も長きにわたり、住宅建築や企業のビル、大規模なホテルで総合的なインテリア・デザインを数多く手がけ、室内空間から発想し、生活を取り巻くものが生き生きと存在する場を時代のなかで生み出すというデザインの姿勢を貫いてきました。
こうした実践に加え、日本インダストリアル・デザイナー協会(JIDA)や、手仕事の発掘と普及をめざしたクラフト・センター・ジャパンの設立、 そのほか多くの批評活動をとおして、いまだ黎明期にあった日本のデザイン運動に方向を与えその発展に尽力したという点でも、重要な役割を果たしています。
渡辺力/1954年/ソリッドスツール
渡辺力/1965年/カートンファニチャーシリーズ/キッズセット
渡辺力/1965年/カートンファニチャーシリーズ/ハイスツール
渡辺力/1965年/カートンファニチャーシリーズ/ロースツール↓応援してくださ〜い。ペコリぃ〜〜















































































































































































