2007.02/24(Sat)

ジョージ・ナカシマ George Nakashima 

1905年、ワシントン州スポーケン市に生まれ、1990年(85歳)、ペンシルヴァニア州ニューホープの工房にて亡くなった、日系二世の家具デザイナー、建築家です。デザイナーというよりも、自ら「木匠」と呼ばれることにこだわった木工家具作家で、木工家としてはパイオニア的な存在の一人です。

福沢諭吉に学んだ士族でジャーナリストとして渡米した父、中島勝治と、明治宮廷の女官の母、寿々との間に生まれます。

1930年(25歳)、シアトルのワシントン大学を卒業後、ハーバード大学大学院でデザインの勉強をするために奨学金を得ますが、バウハウスを嫌い、すぐにケンブリッジのマサチューセッツ工科大学へ転校、そこで建築学修士号を取得します。

1933年から34年、世界一周の旅に出て、ロンドン・パリに滞在、ル・コルビジェのスイス館の建築現場に通い、その後、インド、中国を回って来日します。

帝国ホテル建設の際にフランク・ロイド・ライトに伴って来日し、1934年から36年、父の友人の紹介でチェコ人の建築家、東京のアントニン・レイモンド建築事務所に入所し、前川國男や吉村順三らの若い同僚とともに働きます。日本建築士の草分け時代のことです。

1937年から39年、レイモンド事務所の設計者として、インド、ポンディシュリのヒンドゥー教の導師と共に暮らす生活共同体の居住施設の設計に参加し、2年間修道者と共同生活し、ヒンドゥー教の修行を積みます。

1941年(36歳)、東京で英語教師をしていたアメリカ生まれの岡島すみれ(マリオン)と結婚し、太平洋戦争のため帰米します。そこで、フランク・ロイド・ライトの仕事に失望し、自身が最初から最後まで統合できる新しい職業を見つけることを決心して、家具の世界に踏み込みます。

1942年から43年、アイダホ州日本人キャンプに家族とともに抑留されますが、そこで日系二世の大工と知り合い、基本的な木工技術と木についての知識を得ます。

1945年(40歳)、米国に帰国したレイモンドを頼ってペンシルヴァニア州ニューホープに移り住み、家のガレージに工房をつくり、デザインから製作まで一貫した家具作りを始めます。

1946年土地を譲り受け、ノール社のため量産向けの椅子(アームチェアー)発表します。

1952年、アメリカ建築家協会からオリジナルデザインの家具製作に対し、クラフトマンシップのゴールドメダルを受け、1964年来日し、香川県の桜製作所にてデザイン協力と作品製作を始め、日本での初個展を東京小田急ハルクで開催し注目を集めます。

1972年、ワシントンのスミソニアン美術館協会などで世界的な木工作家に選ばれ出品し、1973年から74年、元副大統領のネルソン・ロックフェラー邸のために、220点以上のインテリアと家具のデザインをし、1983年には、日本より勲三等瑞宝章を受けました。

1986年、ニューヨークのメトロポリタン美術館のためにインテリアと家具のデザインし、1989年から90年、ニューヨークのアメリカンクラフト美術館など全米で大規模な回顧展が巡回されました。

1990年ニューホープの工房にて逝去後、1993年、日本全国4都市の美術館で回顧展が巡回されました。


ジョージ・ナカシマ/不明/グラスシートチェア

ジョージ・ナカシマ/1950年/ミラチェアL

ジョージ・ナカシマ/1952年以降/ミラチェアH

ジョージ・ナカシマ/1955年/ニューチェア

ジョージ・ナカシマ/1955年以降/ニューチェアアーム

ジョージ・ナカシマ/1958年/アームチェア

GeorgeNakashimaConoid.jpgジョージ・ナカシマ/1959年/コノイドチェア

ジョージ・ナカシマ/1960年/ラウンジチェア

ジョージ・ナカシマ/1960年以降/ラウンジアーム

ジョージ・ナカシマ/1960年以降/ラウンジアームロック

ジョージ・ナカシマ/1980年/コノイドラウンジ


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テーマ : 椅子 - ジャンル : 趣味・実用

タグ : ジョージ・ナカシマ George Nakashima

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