イサム・ノグチ Isamu Noguchi 野口勇
彼の作品の源は、東洋と西洋、古代と現代、実践と理想、社会と個人など、対立する概念のもたらす緊張感で、石、木、紙、水、光など様々な天然素材を取り入れて、シンプルなフォルムを情熱的に表現しました。
日本では、岡本太郎、北大路魯山人、丹下健三、猪熊弦一郎、勅使河原蒼風などと交流し、その作品は彫刻から家具、照明、公共スペースや庭園など多岐に渡り、「地球を彫刻した男」とも言われています。
日本の詩人で慶應義塾大学教授の父・野口米次郎、アメリカの作家で教師の母・レオニー・ギルモア(Leonie Gilmour)の私生児として生まれました。
少年時代(2歳から13歳まで)は家族で東京に過ごし、10歳ごろには茅ヶ崎の木工職人宅に見習いに通います。
1918年、母の意思でインディアナ州ローリング・プレーリー近郊の公立中学校入学に際し単身で米国へ送られ、その後公立高校を卒業します。芸術家を切望したため中学校長の斡旋でスタンフォード在住の彫刻家、ガッツォン・ボーグラムに弟子入りが叶いますが、敬愛する師から彫刻の適性を認めてはもらえず、挫折感から一時は芸術を諦めます。
1923年ニューヨークへ移り、コロンビア大学医学部に入学し、日本より帰米してきた母と暮らすようになります。医学部に在学する一方、レオナルド・ダ・ヴィンチ美術学校の彫刻のクラスにも出席し、美術学校の校長、オノリオ・ルオットロに彫刻に専念することを勧められます。
1927年、グッゲンハイム奨学金を獲得し、パリに留学し、半年間、ロダンの弟子である抽象彫刻家のコンスタンチン・ブランクーシの弟子となり、夜間の美術学校に通います。
翌1928年にニューヨークに戻り、最初の個展を開きます。
1941年、第二次世界大戦勃発に伴い、在米日系人の強制収容が行われた際に、自らアリゾナ州の「日系人強制収容所」に志願拘留されますが、アメリカ人との混血ということでアメリカ側のスパイとの噂がたち、日本人社会から冷遇されたため、自ら収容所からの出所を希望するも、今度は日本人であるとして出所はできませんでした。後に芸術家仲間フランク・ロイド・ライトらの嘆願書により出所、その後はニューヨークのグリニッジ・ヴィレッジにアトリエを構えます。
1947年、ハーマンミラー社のディレクター、ジョージ・ネルソンの依頼で、「ノグチ・テーブル」をデザイン・製作するなどインテリアデザインの作品に手を染め、その2年後から岐阜ちょうちんをモチーフにした、現在までロングセラーの「あかり(Akari)」シリーズのデザインを開始します。
1951年、日本へ移住し山口淑子と結婚(4年後に離婚)。鎌倉の魯山人に陶芸を学び素焼の作品制作に没頭し、この頃に魯山人の邸宅敷地内にアトリエ兼住まいも構えます。
1952年には広島平和記念公園のモニュメント(慰霊碑)にノグチのデザインが選ばれましたが、原爆を落としたアメリカの人間であるとの理由で選考から外されます。しかし彼のデザインの一部は、平和公園にある丹下健三設計の「原爆慰霊碑」に生かされています(丹下はこのプロジェクトにノグチの起用を推挙した)。また平和公園の東西両端に位置する平和大橋・西平和大橋のデザインはノグチの手によるものです。彼は後年、アメリカ大統領の慰霊碑を設計したこともありますが、こちらは日本人であるとの理由で却下されました。
1969年、ユネスコ庭園への作品素材に香川県牟礼町(現・高松市)の花崗岩を使ったことをきっかけに牟礼町にアトリエを構え、「あかり (Akari)」シリーズを発表。ここを日本での製作本拠とし、アメリカでの本拠・ニューヨークとの往来をしながら作品製作を行います。
1984年、コロンビア大学より名誉博士号を授与され、ニューヨーク州知事賞を受賞。
1985年、翌年開催のヴェネツィア・ビエンナーレ(第42回)のアメリカ代表に選出さます。また、ニューヨークにイサム・ノグチ・ガーデン・ミュージアムを開設します。日本では香川県のアトリエがイサム・ノグチ庭園美術館として公開されています。
1987年にはロナルド・レーガン大統領からアメリカ国民芸術勲章を受勲します。
1988年、勲三等瑞宝章を受勲し、札幌・モエレ沼公園の計画にも取り組んでいましたが、12月30日、心不全によりニューヨーク大学病院で死去。
1989年、遺志を継ぎ、和泉正敏が制作した遺作「タイム・アンド・スペース」が完成し、新高松空港に設置されました。
他の主な作品に、アメリカIBM本部の二つの庭園、横浜のこどもの国での遊園地の設計、シアトル美術館に彫刻作品「黒い太陽」、東京国立近代美術館の「門」、大阪万国博覧会の噴水作品、パーム・ビーチ彫刻競技会の作品「インテトラ」(2等受賞)、東京の最高裁判所に噴水、などがあります。
2004年に生誕100周年を迎え、これを期にヴィトラ・デザイン・ミュージアムが販売権利を獲得し、魅力的な作品が続々と復刻され話題となっています。
イサム・ノグチ/1946年/フリーフォームソファ
イサム・ノグチ/1946年/フリーフォームオットマン
イサム・ノグチ/1954年/ロッキングスツール↓応援してくださ〜い。ペコリぃ〜〜
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